長短経 / 運命
〔文王問太公曰、「夫人主動作舉事、有禍殃之應、鬼神之福無太公曰、「有之。人主好重賦歛大宮室、則人多病瘟、霜露殺五榖人主好畋獵、不避時禁、則歲多大風、禾榖不實、人主好破壊名山、壅塞大川、决通名水、則歲多大水傷人、五㝅不滋、人主好武事、兵革不息、則日月薄蝕不息、太白失行。」文王曰、「誠哉!」〕
新字:〔文王問太公曰、「夫人主動作舉事、有禍殃之応、鬼神之福無太公曰、「有之。人主好重賦歛大宮室、則人多病瘟、霜露殺五穀人主好畋猟、不避時禁、則歳多大風、禾穀不実、人主好破壊名山、壅塞大川、決通名水、則歳多大水傷人、五㝅不滋、人主好武事、兵革不息、則日月薄蝕不息、太白失行。」文王曰、「誠哉!」〕
書き下し
〔文王、太公に問いて曰く「夫れ人主の動作挙事に、禍殃の応、鬼神の福有りや無しや」と。太公曰く「之有り。人主好んで賦斂を重くし宮室を大にすれば、則ち人多く瘟を病み、霜露五穀を殺す。人主好んで畋猟して、時禁を避けざれば、則ち歳に大風多く、禾穀実らず。人主好んで名山を破壊し、大川を壅塞し、名水を決通すれば、則ち歳に大水多く人を傷い、五穀滋らず。人主好んで武事をし、兵革息まざれば、則ち日月の薄蝕息まず、太白行を失う」と。文王曰く「誠なるかな」と。〕
現代語訳
〔文王が太公望に問うた。「君主の行いや事業に、禍の報いや鬼神の福はあるのか」。太公望は言った。「あります。君主が重い税を取り宮殿を大きくすることを好めば、人々は疫病にかかり、霜や露が穀物を枯らします。君主が狩りを好んで禁猟の時期を守らなければ、その年は大風が多く、穀物が実りません。君主が名山を壊し、大河をせき止め、名だたる川を切り開くことを好めば、その年は大水が多く人を傷つけ、穀物が育ちません。君主が戦を好んで戦いがやまなければ、日食や月食が絶えず、金星が軌道を外れます」。文王は「まことにそのとおりだ」と言った。〕
解説
太公望は、君主の行いと天災を一つずつ結びつけて答えます。重税と宮殿造りは疫病と冷害に、禁猟期を無視した狩りは大風と凶作に、山や川の破壊は洪水に、戦の連続は天体の異変につながる。現代から見れば因果の説明は科学的ではありませんが、指摘の中身は鋭い。重税は民の体力を奪い、乱開発は水害を招き、戦争は国を疲弊させる。上に立つ者の欲望が、巡り巡って災いとして返ってくるという警告です。
この章句が説くこと
運命太公望文王天災因果統治
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