長短経 / 覇図
郭圖、審配曰、「兵書之法、十圍五攻、敵則能戰。今以明公神武、連河朔之強衆以伐曹操、其勢譬如覆手。今不時取、後難圖之授曰、「葢聞救亂誅暴、謂之義兵、恃衆憑強、謂之驕兵。兵義無敵、驕者先敗。曹操奉定天子、建宫許都。今舉兵相向、於義則違。且廟勝之䇿、不在強弱。曹操法令既行、士卒精練、非公孫瓚坐受圍者也。今棄萬安之術、而興無名之師、竊為公懼之。」
新字:郭図、審配曰、「兵書之法、十囲五攻、敵則能戦。今以明公神武、連河朔之強衆以伐曹操、其勢譬如覆手。今不時取、後難図之授曰、「葢聞救乱誅暴、謂之義兵、恃衆憑強、謂之驕兵。兵義無敵、驕者先敗。曹操奉定天子、建宮許都。今舉兵相向、於義則違。且廟勝之策、不在強弱。曹操法令既行、士卒精練、非公孫瓚坐受囲者也。今棄万安之術、而興無名之師、窃為公懼之。」
書き下し
郭図・審配曰く「兵書の法、十なれば囲み五なれば攻め、敵すれば則ち能く戦う。今、明公の神武を以て、河朔の強衆を連ねて以て曹操を伐たば、其の勢い譬えば手を覆すが如し。今、時に取らずんば、後、之を図り難し」と。授曰く「蓋し聞く、乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂い、衆を恃み強きに憑る、之を驕兵と謂う。兵の義なるは敵無く、驕る者は先ず敗る、と。曹操は天子を奉定し、宮を許都に建つ。今、兵を挙げて相い向かうは、義に於ては則ち違う。且つ廟勝の策は、強弱に在らず。曹操は法令既に行われ、士卒精練す。公孫瓚の坐して囲みを受くる者に非ざるなり。今、万安の術を棄てて、無名の師を興す。竊かに公の為に之を懼る」と。
現代語訳
郭図と審配が言った。「兵書の法では、十倍なら囲み、五倍なら攻め、同等なら戦う。いま明公の神のような武を以て、河北の強兵を連ねて曹操を伐てば、その勢いは手のひらを返すようなものです。いま取らなければ、後では難しくなります」。沮授が言った。「聞くところでは、乱を救い暴を誅するのを義兵といい、数を頼み強さに寄りかかるのを驕兵という。義の兵に敵はなく、驕る者が先に敗れる、と。曹操は天子を奉じて宮を許都に建てた。いま兵を挙げて向かうのは、義に背きます。それに朝廷で立てる必勝の策は、強弱によりません。曹操は法令がすでに行われ、兵は精鋭に鍛えられている。座ったまま囲まれた公孫瓚とは違う。いま万全の術を棄てて、名分のない軍を起こす。ひそかにあなたのために恐れます」。
解説

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