長短経 / 三国権
時曹公㧞漢中。〔初、魏太祖破張魯於漢中、劉曄進計曰、「明公北破袁紹、南征劉表、九州百郡十并其八、威震天下、勢慴海外。今舉漢中、蜀人望風、破膽失守、推此而前、蜀可傳檄而定。劉備、人傑也、有度而遲、得蜀日淺、蜀人未附、人心震恐、其勢自傾。因其傾而壓之、無不克也。若小緩之、諸葛孔明明於治體、関侯張飛勇冠三軍、武毅以威之、文徳以撫之、據險守要、不可犯矣!今時不取、必有後憂。」太祖不從。居七日、蜀降者言蜀中驚擾、雖斬之、猶不禁。太祖又問曄曰、「蜀可伐不對曰、「今已小安、不可動也。」〕
新字:時曹公抜漢中。〔初、魏太祖破張魯於漢中、劉曄進計曰、「明公北破袁紹、南征劉表、九州百郡十并其八、威震天下、勢慴海外。今舉漢中、蜀人望風、破胆失守、推此而前、蜀可伝檄而定。劉備、人傑也、有度而遅、得蜀日浅、蜀人未附、人心震恐、其勢自傾。因其傾而圧之、無不克也。若小緩之、諸葛孔明明於治体、関侯張飛勇冠三軍、武毅以威之、文徳以撫之、拠険守要、不可犯矣!今時不取、必有後憂。」太祖不従。居七日、蜀降者言蜀中驚擾、雖斬之、猶不禁。太祖又問曄曰、「蜀可伐不対曰、「今已小安、不可動也。」〕
書き下し
時に曹公、漢中を抜く。〔初め、魏の太祖、張魯を漢中に破る。劉曄、計を進めて曰く「明公は北のかた袁紹を破り、南のかた劉表を征し、九州百郡、十に其の八を并せ、威は天下に震い、勢は海外を懾れしむ。今、漢中を挙ぐ。蜀人は風を望みて、胆を破り守りを失わん。此を推して前まば、蜀は檄を伝えて定むべし。劉備は人傑なり。度有りて遅く、蜀を得ること日浅く、蜀人未だ附かず。人心震恐し、其の勢い自ら傾かん。其の傾くに因りて之を圧せば、克たざる無きなり。若し小しく之を緩めば、諸葛孔明は治体に明らかに、関侯・張飛は勇三軍に冠たり。武毅以て之を威し、文徳以て之を撫し、険に拠り要を守らば、犯すべからざらん。今時取らずんば、必ず後憂有らん」と。太祖従わず。居ること七日、蜀の降る者言う、蜀中驚擾し、之を斬ると雖も、猶お禁ぜず、と。太祖又た曄に問いて曰く「蜀伐つべきや不や」と。対えて曰く「今已に小しく安んず。動かすべからざるなり」と。〕
現代語訳
そのころ曹操は漢中を落とした。〔はじめ魏の太祖曹操が張魯を漢中で破ったとき、劉曄は計を進めて言った。「明公は北に袁紹を破り、南に劉表を征し、九州百郡の十に八を併せ、威は天下を震わせ、勢いは海外まで恐れさせています。いま漢中を取りました。蜀の人々はこの勢いを見て肝をつぶし、守りを失うでしょう。このまま進めば、蜀は檄文一つで平定できます。劉備は人傑ですが、度量はあっても動きが遅く、蜀を得て日が浅いので、蜀の人々はまだなついていません。人心が震え恐れて、その勢いはひとりでに傾くでしょう。傾くところを押せば勝てないことはありません。もし少しでも緩めれば、諸葛孔明は政治に明るく、関羽・張飛の勇は三軍に冠たるものです。武で威圧し文徳でなだめ、険しい地に拠って要所を守れば、もう攻められません。いま取らなければ、必ず後の憂いになります」。曹操は従わなかった。七日たって、蜀から降ってきた者が、蜀の中は驚き騒ぎ、斬っても騒ぎが収まらないと言った。曹操がまた劉曄に「蜀は伐てるか」と問うと、劉曄は答えた。「もう少し落ち着いてしまいました。動かせません」。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』勢略孫子曰く「勇怯は、勢いなり。強弱は、形なり」と。又た曰く「水の弱きも、石を漂わすに至る者は、勢いなり」と。何を以て之を明らかにせん。昔、曹公張魯を征し、漢中を定む。劉曄説きて曰く「明公は歩卒五千を以て、董卓を討誅し、北のかた袁紹を破り、南のかた劉表を征す。九州百郡、十に其の八を并せ、威は天下に震い、勢いは海外を懾れしむ。今、漢中を挙ぐ。蜀人は風を望み、胆を破り守りを失わん。此を推して前まば、蜀は檄を伝えて定むべきなり。劉備は人傑なり。智有りて遅く、蜀を得ること日浅く、蜀人未だ附かず。今、漢中を破り、蜀人震恐し、其の勢い自ら傾く。公の神明を以て、其の傾くに因りて之を圧せば〔烏甲の反〕、剋たざる無きなり。若し小しく之を緩めば、諸葛亮は理に明らかにして相と為り、関羽・張飛は勇三軍に冠たりて将と為り、蜀人既に定まり、険に拠り要を守らば、則ち犯すべからざるなり。今取らずんば、必ず後憂と為らん」と。曹公従わず。居ること七日、蜀の降る者説く「蜀中一日に数十たび驚き、備之を斬るも禁ずること能わざるなり」と。曹公延きて曄に問いて曰く「今尚お撃つべきや否や」と。曄曰く「今已に小しく定まる。未だ撃つべからざるなり」と。
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『長短経』三国権法正、先主に説きて曰く「曹操は一挙にして張魯を降し、漢中を定むるも、此の勢いに因りて以て巴蜀を図らず、而して夏侯淵・張郃を留めて屯守せしめ、身は遽かに北に還る。此れ其の智逮ばず、力足らざるに非ず。将た内に憂逼有るが故のみ。今、淵・郃の才略を算うるに、国の将率に勝らず。衆を挙げて往きて討たば、則ち必ず之に克たん。之に克つの日、農を広め穀を積み、釁を観て隙を伺わば、上は以て寇敵を傾覆し、王室を尊奨すべく、中は以て雍・涼を蚕食し、境を広め土を拓くべく、下は以て要害を固守し、持久の計を為すべし。此れ蓋し天の以て我に与うるなり。時失うべからず」と。先主其の策を善しとし、乃ち諸将を率いて兵を漢中に進め、正も亦た従い行く。先主、陽平より南のかた沔水を渡り、山に縁りて稍く前み、定軍・興勢に営を作る。淵、兵を将いて来たりて其の地を争う。正曰く「撃つべし」と。先主、黄忠に命じて高きに乗じ鼓譟して之を攻めしめ、大いに淵等を破り首を授けしめ、遂に梁・漢を奄有す。
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『長短経』三国権会々劉璋、曹公の漢中に向かいて張魯を討つと聞き、内に恐懼を懐く。別駕張松、璋に説きて曰く「曹公は兵強く、天下に敵無し。若し張魯の資に因りて、以て蜀の土を取らば、誰か能く之を禦がん。劉豫州は、使君の宗にして曹公の深讐なり。若し之をして魯を討たしめば、魯必ず破れん。魯破るれば則ち益州強く、曹公来たると雖も、能く為す無からん」と。璋之を然りとし、法正を遣わして先主を迎えしむ。〔時に黄権諫めて曰く「左将軍は梟名有り。今、部曲を以て之を遇せば則ち其の心を満たさず、客礼を以て之を待てば則ち一国に二君を容れず。若し客に泰山の安有らば、則ち主に累卵の危有らん。願わくは且く境を閉じて以て河の清むを待て」と。時に劉巴も亦た諫めて曰く「備は雄傑の人なり。入らば必ず為す有らん。内るべからざるなり」と。既に入り、巴又た曰く「若し備をして張魯を討たしむるは、是れ虎を山林に放つなり」と。璋並びに聴かず。〕先主、璋と涪に会す。璋既に成都に還り、先主当に璋の為に北のかた漢中を征せんとす。
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『長短経』三国権荊州は北は漢・沔に拠り、利は南海を尽くし、東は呉会に連なり、西は巴・蜀に通ず。此れ武を用うるの国にして、其の主は守ること能わず。此れ殆ど天の将軍に資する所以なり。益州は険塞にして、沃野千里、天府の国なり。高祖之に因りて以て帝業を成す。劉璋は闇弱にして、張魯北に在り、民殷んに国富めども、恤うることを知らず。智能の士は、明君を得んことを思う。将軍は既に帝室の冑にして、信義は四海に著れ、英雄を総攬し、賢を思うこと渇するが如し。若し荊・益を跨有し、其の巌阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は好を孫権と結び、内は政理を修め、天下に変有らば、則ち上将に命じて荊州の軍を将いて以て宛・洛に向かわしめ、将軍は身ら益州の衆を率いて秦川に出でば、百姓孰か簞食壺漿して以て将軍を迎えざる者あらんや。誠に是くの如くんば、則ち霸業成すべく、漢室興すべし」と。時に曹公荊州を破り、先主呉に奔る。
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『長短経』三国権〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。
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『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。