長短経 / 察相
《漢書》曰、「髙祖立濞為吳王。已拜、上相之曰、『汝靣狀若有反相、漢後五十年、東南有亂、豈非汝耶?天下一家、慎無反。』」〔《經》曰、睂上骨斗髙者、名為九反骨。其人恒有包藏之志。」又曰、「黄色繞天中、從髪際通兩顴其兩睂下各發黄色、其中正上復有黄色直下鼻者、三公相也。若下賤有此色者、能殺君父。」
新字:《漢書》曰、「高祖立濞為呉王。已拝、上相之曰、『汝面状若有反相、漢後五十年、東南有乱、豈非汝耶?天下一家、慎無反。』」〔《経》曰、眉上骨斗高者、名為九反骨。其人恒有包蔵之志。」又曰、「黄色繞天中、従髪際通両顴其両眉下各発黄色、其中正上復有黄色直下鼻者、三公相也。若下賤有此色者、能殺君父。」
書き下し
漢書に曰く「高祖、濞を立てて呉王と為す。已に拝して、上、之を相して曰く『汝が面状は反相有るが若し。漢の後五十年、東南に乱有らん。豈に汝に非ずや。天下は一家なり、慎みて反する無かれ』」と。〔経に曰く、眉上の骨、斗のごとく高き者は、名づけて九反骨と為す。其の人は恒に包蔵の志有り。又た曰く「黄色、天中を繞り、髪際より両顴に通じ、其の両眉の下に各々黄色を発し、其の中正の上に復た黄色有りて直ちに鼻に下る者は、三公の相なり。若し下賤にして此の色有る者は、能く君父を殺す」と。
現代語訳
漢書にこうある。「高祖は劉濞を立てて呉王とした。任命を終えてから、高祖は彼の相を見て言った。『おまえの顔つきには謀反の相があるようだ。漢の五十年後に東南で乱が起こるだろう。まさかおまえではあるまいな。天下は一家だ。慎んで謀反するな』」。〔兵法書にこうある。眉の上の骨が枡のように高い者、これを九反骨という。その人は常に腹に何かを隠す志を持っている。またこうある。「黄色い気が額の中央をめぐり、髪の生え際から両頬骨に通じ、両眉の下にそれぞれ黄色を発し、中正の上にもまた黄色があって鼻までまっすぐ下る者は、三公の相である。もし身分の低い者にこの色があれば、主君や父を殺すことができる」。
解説
呉王濞は、この四十年ほどのちに呉楚七国の乱を起こします。高祖の言葉は予言として語り継がれました。ただし注意して読めば、高祖は相を見て任命を取り消したわけではありません。任命したうえで、慎んで反するなと釘を刺しています。相はあくまで傾向であって決定ではない、という扱い方です。この篇の人相論を読むときは、この距離の取り方を覚えておくとよいでしょう。
この章句が説くこと
察相人相呉王濞漢高祖予言傾向
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『長短経』察相魏の安釐王、子従に問いて曰く「馬回は梗梗亮直、大夫の節あり。吾れ相と為さんと欲す、可ならんか」と。答えて曰く「長目にして豕視なれば、則ち体は方にして心は円なり。毎に其の法を以て人を相るに、千百に一を失わず。臣、回を見るに其の体幹を偉とせざるに非ず。然れども甚だ其の目を疑う」と。平原君、秦の将白起を相して、趙王に謂いて曰く「武安君の人と為りや、頭にして下鋭く、瞳子は白黒分明、視瞻は転ぜず。小頭にして下鋭き者は、断じて敢えて行うなり。瞳子の白黒分明なる者は、事を見ること明らかなり。視瞻の転ぜざる者は、志を執ること強きなり。与に持久す可く、与に鋒を争い難し」と。王莽は大口蹷頤、露目赤睛、声大にして身長七尺五寸、膺を反らして仰ぎ視、左右を瞰臨す。或るひと言う、莽は所謂鴟目虎喙豺狼の声なり、故に人を噉食す、亦た当に人の殺す所と為るべしと。莽、後に漢の位を簒い、後に兵敗れて帰り、果たして殺されたるなり。〕
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『長短経』察相高広は方伯の坐を主る。〔天中より横に列して髪際に至るまで、凡そ七名。高広の位は第三に在り。高広に忽ち黄色を発して、両人の鼓を捉うるが如き者は、将軍の相なり。〕陽尺は州佐の官を主る。〔横に高広に次ぐ、位は第四に在り。陽尺は亦た少しく出づるを主る。方伯に気有れば、遠行を憂うるなり。〕武庫は兵甲典庫の吏を主る。〔横に陽尺に次ぐ、位は第五に在り。〕輔角は遠州刺史の官を主る。〔横に武庫に次ぐ、位は第六に在り。骨起き色好ければ、黄門舎人の官を主るなり。〕辺地は辺州の任を主る。〔横に輔角に次ぐ、位は第七に在り。黒子有れば、落難して奴と為るなり。〕
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『長短経』三国権是の後、呉王劉濞、子の故を以て反す。初め発するや、其の大将田禄伯曰く「兵屯聚して西し、他の奇道無くんば、以て功に就き難し。臣願わくは奇兵五万人を得て、別に江・淮に循いて上り、淮南・長沙を収め、武関に入りて、大王と会せん。此れも亦た一奇なり」と。呉王の太子諫めて曰く「王は反を以て名と為す。此の兵は以て人に藉し難し。人も亦た且に王に反せんとす」と。呉王許さず。其の少将桓将軍、復た呉王に説きて曰く「呉は歩兵多く、歩兵は険阻に利あり。漢は車騎多く、車騎は平地に利あり。願わくは大王、過ぐる所の城邑、下らずんば、宜しく棄て去り、疾く西して雒陽の武庫に拠り、敖倉の粟を食い、山河の険を阻みて、以て諸侯に令すべし。関に入ること無しと雖も、天下固より已に定まらん。即し大王徐ろに行き、留まりて城邑を下さば、漢の車騎至りて、梁・楚の郊に馳せ入り、事敗れん」と。王、諸老将に問う。老将曰く「此れ年少推鋒の計のみ。安んぞ大慮を知らん」と。呉王、桓将軍の計に従わず、乃ち自ら并せて其の兵を将いる。漢は太尉周亜夫を以て呉・楚を撃たしめ、亜夫其の父の客の計を用いて、遂に呉を敗る。〔客の計は覇紀の上に在り。〕
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『長短経』察相〔論じて曰く、堯の眉は八彩、舜の目は重瞳、禹の耳は四漏、文王は四乳。然らば則ち世人も亦た時に四乳なる者有り。此れ則ち駑馬の一毛の驥に似たるなり。日角月偃の奇、龍棲虎踞の美、地は静かに城垣に鎮まり、天は闢けて掌策に運り、金槌玉枕、磊落として相い望み、伏犀蓋を起こし、隠轔として交映するが若きは、井宅既に兼ね、倉匱已に実つ。斯れ乃ち卿相の明効なり。若し目深く頸長く、顔頽れ齃蹙まり、蛇行鷙立し、猳啄鳥咮にして、筋は体を束ねず、面に華色無く、手に春荑の柔無く、髪に寒蓬の悴有るは、是れ則ち窮乏の徴験なり。昔、姑布子卿、子貢に謂いて曰く「鄭の東門に一人有り、其の長は九尺六寸、河目にして隆顙、其の頭は堯に似、其の項は皋陶に似、其の肩は子産に似たり。然れども腰より以下は禹に及ばざること三寸、儽然として喪家の狗の若し」と。河目とは上下の匡にして長きを謂うなり。顙は額なり。漢高は隆準にして龍顔。準は鼻なり。顔は額顙なり。両角を龍角と為し、一角を犀角と為す。高祖の龍に似て両眉の顙骨高くして鼻上隆きを言うなり。魏の陳留王は下豊かに上兌く、堯図の表有り。陳の宣帝は頸縝にして、貌は恵からざるが若し。初め賤しき時、楊忠見て之を奇として曰く「此の人は虎頭なり、必ず当に大いに貴かるべし」と。後に皆な果たして然り。此れ貴賤の効なり。〕
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