長短経 / 政体
下令於流水之原、以順人心也。〔尉繚子曰、“令、所以一衆心也。不審所出、則數變、數變則令雖出、衆不信也。出令之法、雖有小過、無更、則衆不二聽、即令行矣。”《尹文子》曰、父之於子也、令有必行、有不必行者。『去貴妻、賣愛妾』、此令必行者也。因曰、『汝無敢恨、汝無敢思。』此令不行者也。故為人上者、必慎所出令焉。”文子曰、“治國有常、而利人為本、政教有道、而令行為右也。”〕
新字:下令於流水之原、以順人心也。〔尉繚子曰、“令、所以一衆心也。不審所出、則数変、数変則令雖出、衆不信也。出令之法、雖有小過、無更、則衆不二聴、即令行矣。”《尹文子》曰、父之於子也、令有必行、有不必行者。『去貴妻、売愛妾』、此令必行者也。因曰、『汝無敢恨、汝無敢思。』此令不行者也。故為人上者、必慎所出令焉。”文子曰、“治国有常、而利人為本、政教有道、而令行為右也。”〕
書き下し
令を流水の原に下すは、以て人心に順うなり。〔尉繚子曰く「令は衆心を一にする所以なり。出づる所を審らかにせざれば、則ち数しば変ず。数しば変ずれば則ち令出づと雖も、衆信ぜざるなり。令を出だすの法は、小過有りと雖も更むる無し。則ち衆は二聴せず、即ち令行わる」と。尹文子に曰く「父の子に於けるや、令に必ず行わるる有り、必ずしも行われざる有り。『貴妻を去り、愛妾を売れ』、此れ令の必ず行わるる者なり。因りて曰く『汝、敢えて恨むこと無かれ、汝、敢えて思うこと無かれ』、此れ令の行われざる者なり。故に人の上為る者は、必ず出だす所の令を慎まん」と。文子曰く「国を治むるに常有り、而して人を利するを本と為す。政教に道有り、而して令の行わるるを右と為すなり」と。〕
現代語訳
命令を流れる水の源から下すとは、人心に順うということである。〔尉繚子はこう言った。「命令は人々の心を一つにするためのものである。出どころを見きわめなければ、たびたび変わる。たびたび変われば、命令を出しても人々は信じない。命令を出す法は、小さな過ちがあっても改めないことである。そうすれば人々は二つを聞き分けようとせず、命令は行われる」。尹文子にこうある。「父が子に対して、命令が必ず行われるものと、必ずしも行われないものとがある。『身分の高い妻を去らせ、愛妾を売れ』、これは必ず行われる命令である。ついでに『おまえは恨むな、おまえは思うな』と言う、これは行われない命令である。だから人の上に立つ者は、必ず出す命令を慎まなければならない」。文子はこう言った。「国を治めるには常道があり、人を利することを本とする。政治と教化には道があり、命令が行われることを第一とする」。〕
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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