長短経 / 三国権
䇿死、弟權領其衆。〔時吴割據江南、席卷交廣也。〕屬曹公破袁紹、兵威日盛、乃下書責孫權、求質。張昭等㑹議不决。權乃獨將周瑜、詣其母前定議。瑜曰、「昔楚國初封於荆山之側、不滿百里之地。繼嗣賢能、廣土開境、立基於郢、遂據荆、揚、至於南海、傳業延祚、九百餘年。今將軍乗父兄餘資、兼六郡之衆、兵精糧多、將士用命。鑄山為銅、煮海為鹽、境内富饒、人不思亂。汎舟舉帆、朝發夕到、土風勁勇、所向無前。有何逼廹而欲送質?質子一入、不得不與曹氏、曹氏命召、不得不徃、便見制於人也。
新字:策死、弟権領其衆。〔時呉割拠江南、席巻交広也。〕属曹公破袁紹、兵威日盛、乃下書責孫権、求質。張昭等会議不決。権乃独将周瑜、詣其母前定議。瑜曰、「昔楚国初封於荆山之側、不満百里之地。継嗣賢能、広土開境、立基於郢、遂拠荆、揚、至於南海、伝業延祚、九百余年。今将軍乗父兄余資、兼六郡之衆、兵精糧多、将士用命。鋳山為銅、煮海為塩、境内富饒、人不思乱。汎舟舉帆、朝発夕到、土風勁勇、所向無前。有何逼迫而欲送質?質子一入、不得不与曹氏、曹氏命召、不得不往、便見制於人也。
書き下し
策死し、弟の権、其の衆を領す。〔時に呉は江南を割拠し、交・広を席巻するなり。〕属々曹公、袁紹を破り、兵威日に盛んなり。乃ち書を下して孫権を責め、質を求む。張昭等会議して決せず。権乃ち独り周瑜を将いて、其の母の前に詣りて議を定む。瑜曰く「昔、楚国初めて荊山の側に封ぜらるるや、百里の地に満たず。継嗣賢能にして、土を広め境を開き、基を郢に立て、遂に荊・揚に拠り、南海に至り、業を伝え祚を延ぶること九百余年。今、将軍は父兄の余資に乗じ、六郡の衆を兼ね、兵精しく糧多く、将士命を用う。山を鋳て銅と為し、海を煮て塩と為し、境内富饒にして、人乱を思わず。舟を汎べ帆を挙ぐれば、朝に発して夕べに到り、土風勁勇にして、向かう所前無し。何の逼迫有りて質を送らんと欲するや。質子一たび入らば、曹氏と与せざるを得ず。曹氏命じて召さば、往かざるを得ず。便ち人に制せらるるなり。
現代語訳
孫策が死ぬと、弟の孫権がその兵を率いた。〔このころ呉は江南を割拠し、交州・広州まで勢力を広げていた。〕ちょうど曹操が袁紹を破り、兵の威勢は日ごとに盛んになった。曹操は文書を下して孫権を責め、人質を求めた。張昭らが会議をしても決まらなかった。孫権は周瑜だけを連れて母の前に行き、議論を決した。周瑜は言った。「昔、楚の国ははじめ荊山のそばに封じられ、百里にも満たない土地でした。跡継ぎが賢く有能で、土地を広げ国境を開き、郢に基を築き、ついに荊州・揚州を押さえ南海にまで至り、業を伝えて九百年余り続きました。いま将軍は父と兄の残した元手に乗り、六郡の兵を合わせ、兵は精強で食糧は多く、将兵は命令に従います。山から銅を鋳造し、海水を煮て塩を作り、領内は豊かで、人々は乱を望んでいません。舟を浮かべ帆を上げれば朝に出て夕べに着き、土地の気風は強く勇ましく、向かうところ敵はありません。何に追い詰められて人質を送ろうとなさるのか。人質の子が一度曹操のもとに入れば、曹氏と手を組まざるをえなくなります。曹氏に呼び出されれば、行かざるをえません。つまり人に支配されることになるのです。
解説

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孫子・虚実篇孫子曰く、戦いを善くする者は、人を致して人に致されず。
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李衛公問対・卷上兵を善く用うる者は、先ず測る可からざるを為せば、則ち敵は其の之く所に乖く。
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。
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尉繚子・戰權兵法に曰く、「千人にして権を成し、万人にして武を成す。権先づ人に加ふる者は、敵力交へず。武先づ人に加ふる者は、敵威接せず」と。故に兵は先を貴ぶ。此に勝てば、則ち彼に勝つ。此に勝たざれば、則ち彼に勝たず。凡そ我往けば則ち彼来たり、彼来たれば則ち我往き、相勝敗を為す、此れ戦の理の然るなり。夫れ精誠は神明に在り、戦権は道の極まる所に在り。有る者は之を無くし、無き者は之を有らしむ、安んぞ之を信ずる所あらん。先王の伝聞する所の者は、正に任じ詐を去り、其の慈順を存し、決して留刑無し。故に道を知る者は、必ず先づ止まるを知らざるの敗を図る、悪んぞ必ず往きて功有るに在らんや。軽く進みて戦を求むれば、敵復た止まるを図り、我往きて敵勝を制す。故に兵法に曰く、「求めて之に従ひ、見て之に加へ、主人敢へて当たらざるに之を陵げば、必ず其の権を喪ふ」と。凡そ奪はるる者は気無く、恐るる者は守るべからず、敗るる者は人無し、兵に道無ければなり。意往きて疑はざれば、則ち之に従ふ。敵を奪ひて前無ければ、則ち之に加ふ。明らかに視て高く居れば、則ち之を威す。兵の道極まれり。其の言謹み無ければ、偸みて失はしむ。其の陵犯節無ければ、破る。水のごとく潰し雷のごとく撃てば、三軍乱る。必ず其の危ふきを安んじ、其の患を去り、智を以て之を決す。之を高くするに廊廟の論を以てし、之を重くするに受命の論を以てし、之を鋭くするに踰垠の論を以てすれば、則ち敵国戦はずして服すべし。
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『新論』長計是れ所謂其の之く所を乖く者にして、実を変じて虚と為し、虚を転じて実と為す。此くの如くなれば、則ち神聖の夷狄を御する所以の略、彼倒用するを得ずして、彼の我を擾す所以の術、我将に之を倒用せんとす。然る後操縦の権、我より之を制す。廟謨既に定まり、上下心を同じくし、千塗万轍、必ず是の道に由りて変ぜず。是に於てか我の夷狄を御する所以の者は、即ち神聖の夷狄を御する所以にして、内に一定の略有りて、外に乗ずべきの虚無し。黠虜をして千群我を窺はしむと雖も、将た何を以て我が辺陲に陸梁するを得んや。(大猷公嘗て訳官島野兼了なる者を天竺に遣はす。兼了荷蘭の賈舶に乗り、諸国を周流し、遂に東海に往くこと三千里、一大国を得たり。以為へらく是の国宜しく神州に属すべしと。因りて碑を立てて題して日本国中と曰ふ。当時の規模の宏遠なること、亦見るべきなり。海東三千里なる者は、疑ふらくは即ち西夷の所謂亜墨利加洲なる者ならん。)
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李衛公問対・卷中千章万句、『人を致して人に致されず』を出でざるのみ。