長短経 / 覇図
世祖使耿弇討張歩。歩聞之、乃使其大将費邑軍歴下、又分兵屯於祝阿、別於太山、鍾城列營數十以待弇。弇乃度河、先擊祝阿、自旦攻城、日未中而㧞之、故開圍一角、令其衆得奔歸鍾城。鍾城人聞祝阿潰、大懼、遂空壁亡去。費邑分遣其弟敢守巨里弇留兵脅巨里使多伐樹木、揚言以填塞坑塹。數日、有降者言邑聞弇欲攻巨里謀來救之。弇乃令軍中曰、「後三日當悉力攻巨里城。」陰緩生口、令得亡歸。歸者以弇期告邑。邑至日果自將救之、弇喜謂諸將曰、「吾所以修攻具者、欲誘致邑耳。今來、適所求也。」即分三千人守巨里自引精兵上崗坂乘高合戰、臨陣斬邑。既而収首級以示巨里城。城中兇懼、費敢悉衆亡歸張歩。
新字:世祖使耿弇討張歩。歩聞之、乃使其大将費邑軍歴下、又分兵屯於祝阿、別於太山、鍾城列営数十以待弇。弇乃度河、先撃祝阿、自旦攻城、日未中而抜之、故開囲一角、令其衆得奔帰鍾城。鍾城人聞祝阿潰、大懼、遂空壁亡去。費邑分遣其弟敢守巨里弇留兵脅巨里使多伐樹木、揚言以填塞坑塹。数日、有降者言邑聞弇欲攻巨里謀来救之。弇乃令軍中曰、「後三日当悉力攻巨里城。」陰緩生口、令得亡帰。帰者以弇期告邑。邑至日果自将救之、弇喜謂諸将曰、「吾所以修攻具者、欲誘致邑耳。今来、適所求也。」即分三千人守巨里自引精兵上崗坂乗高合戦、臨陣斬邑。既而収首級以示巨里城。城中兇懼、費敢悉衆亡帰張歩。
書き下し
世祖、耿弇をして張歩を討たしむ。歩、之を聞き、乃ち其の大将費邑をして歴下に軍せしめ、又た兵を分かちて祝阿に屯し、別に太山・鍾城に営を列ぬること数十にして以て弇を待つ。弇、乃ち河を度り、先ず祝阿を撃つ。旦より城を攻め、日未だ中ならずして之を抜く。故らに囲みの一角を開き、其の衆をして奔りて鍾城に帰るを得しむ。鍾城の人、祝阿の潰ゆるを聞き、大いに懼れ、遂に壁を空にして亡げ去る。費邑、其の弟敢を分遣して巨里を守らしむ。弇、兵を留めて巨里を脅かし、多く樹木を伐らしめ、揚言して以て坑塹を填塞せんとす。数日、降る者有りて言う、邑、弇の巨里を攻めんと欲するを聞き、来たりて之を救わんと謀る、と。弇、乃ち軍中に令して曰く「後三日、当に力を悉くして巨里城を攻むべし」と。陰かに生口を緩め、亡げ帰るを得しむ。帰る者、弇の期を以て邑に告ぐ。邑、日に至りて果たして自ら将いて之を救う。弇、喜びて諸将に謂いて曰く「吾の攻具を修むる所以の者は、邑を誘致せんと欲すればなり。今来たるは、適に求むる所なり」と。即ち三千人を分かちて巨里を守らしめ、自ら精兵を引きて崗坂に上り、高きに乗じて合戦し、陣に臨みて邑を斬る。既にして首級を収めて以て巨里城に示す。城中、兇懼し、費敢、衆を悉くして亡げて張歩に帰る。
現代語訳
世祖は耿弇に張歩を討たせた。張歩はこれを聞いて、大将の費邑を歴下に陣させ、また兵を分けて祝阿に駐屯させ、別に泰山と鍾城に数十の陣営を並べて耿弇を待った。耿弇は黄河を渡り、まず祝阿を攻めた。朝から城を攻め、正午前に落とした。わざと包囲の一角を開けて、その兵が鍾城へ逃げ帰れるようにした。鍾城の人々は祝阿が潰えたと聞いて大いに恐れ、砦を空にして逃げ去った。費邑は弟の費敢を分遣して巨里を守らせた。耿弇は兵を留めて巨里を脅かし、多くの樹木を伐らせ、堀を埋めると触れ回った。数日して降ってきた者が、費邑が耿弇の巨里攻めを聞いて救援を計画していると言った。耿弇は軍中に命じた。「三日後に全力で巨里城を攻める」。ひそかに捕虜の監視を緩め、逃げ帰らせた。帰った者が耿弇の期日を費邑に告げた。費邑は当日、果たして自ら救援に来た。耿弇は喜んで諸将に言った。「私が攻城具を作っていたのは、費邑を誘い出すためだ。いま来たのは、まさに求めていたことだ」。そこで三千人を分けて巨里を守らせ、自分は精兵を率いて丘に登り、高所から合戦して、陣中で費邑を斬った。そして首級を巨里城に見せた。城中は恐れ、費敢は兵を全部連れて張歩のところへ逃げ帰った。
解説

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