長短経 / 運命
范曄曰、「陳平多隂謀、而知其後必廢、邴吉有隂徳、夏侯勝識其當封及其子孫。終陳掌失侯、而邴昌紹國、雖有不類、未可致詰。其大致歸於有德矣。袁安、竇氏之間乃精帝室引義推正、可謂王臣之烈。及其理楚獄、未嘗鞠人於賦罪。其仁心足覃乎後昆。子孫之盛、不亦宜乎?」由是觀之、夫陳平、邴吉及袁安之後、衰與盛乃在先人之徳、又不在吾之得失矣。
新字:范曄曰、「陳平多陰謀、而知其後必廃、邴吉有陰徳、夏侯勝識其当封及其子孫。終陳掌失侯、而邴昌紹国、雖有不類、未可致詰。其大致帰於有徳矣。袁安、竇氏之間乃精帝室引義推正、可謂王臣之烈。及其理楚獄、未嘗鞠人於賦罪。其仁心足覃乎後昆。子孫之盛、不亦宜乎?」由是観之、夫陳平、邴吉及袁安之後、衰与盛乃在先人之徳、又不在吾之得失矣。
書き下し
范曄曰く「陳平は陰謀多くして、其の後必ず廃せらるるを知る。邴吉は陰徳有りて、夏侯勝は其の当に封ぜられて其の子孫に及ぶべきを識る。終に陳掌は侯を失い、而して邴昌は国を紹ぐ。類せざる有りと雖も、未だ詰を致すべからず。其の大致は有徳に帰す。袁安は竇氏の間に在りて、乃ち帝室に精しく、義を引き正を推す。王臣の烈と謂うべし。其の楚の獄を理むるに及びて、未だ嘗て人を賦罪に鞠せず。其の仁心は後昆に覃ぶに足る。子孫の盛んなるは、亦た宜ならずや」と。是に由りて之を観れば、夫れ陳平・邴吉及び袁安の後、衰と盛とは乃ち先人の徳に在りて、又た吾の得失に在らず。
現代語訳
范曄は言う。「陳平は陰謀が多く、自分の子孫は必ず廃されると知っていた。邴吉には人知れぬ徳があり、夏侯勝は邴吉が必ず侯に封じられ、その福が子孫に及ぶと見抜いた。結局、陳平の子孫陳掌は侯の位を失い、邴吉の子孫邴昌は国を継いだ。例外もあるが、問い詰めることはできない。おおむねは徳のあるほうに帰すのである。袁安は外戚の竇氏が権勢をふるう中で、皇室に誠を尽くし、義を引いて正しさを推し進めた。王の臣としての烈しい忠と言える。楚王の謀反の裁判を扱ったときも、罪をでっち上げて人を責めたことはなかった。その仁の心は子孫に及ぶに足りた。子孫が栄えたのも当然ではないか」。これで見ると、陳平・邴吉・袁安の子孫の衰えと栄えは、祖先の徳にかかっていて、自分自身の得失にかかっているのではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』是非〔是に曰く〕漢書に曰く、陳平云う「吾れ陰謀多し。道家の禁ずる所なり。吾が世は即ち廃亡せん。已んぬるかな、終に復た起こる能わじ。吾れ陰禍多きを以てなり」と。其の後、玄孫、酎金に坐して侯を失う。〔非に曰く〕後漢の范曄、耿弇を論じて曰く「三代の将為るは、道家の忌む所なり。而るに耿氏は累葉、功名を以て自ら終わる。将た其れ兵を用うるや、殺を以て殺を止めんと欲するか。何ぞ其れ独り能く崇きや」と。〔是に曰く〕
-
『長短経』運命顔・冉の凶は、性命の本なり。〔議に曰く、秦伯、士鞅に問いて曰く「晋の大夫、其れ誰か先に亡びん」と。対えて曰く「其れ欒氏か」と。秦伯曰く「其の汰れるを以てか」と。対えて曰く「然り。欒黶は汰虐已に甚だしきも、猶お以て免るべし。其れ盈に在らんか」と。秦伯曰く「何の故ぞ」と。対えて曰く「武子の徳は人に在り、周人の召公を思うが如し。其の甘棠を愛す、況んや其の子をや。欒黶死して、盈の善未だ人に及ぶこと能わず、武子の施す所没し、而して黶の怨み実に彰る。将に是に於てせんとするか」と。後九年に在りて、晋、欒氏を滅ぼす。是に由りて黶は汰虐なりと雖も、其の父武子の徳を以て、身其の福を受く。盈は賢智なりと雖も、其の黶父の汰虐を以て、遂に禍に遇う。然らば則ち禍と福とは、我の賢虐に在らず。
-
『長短経』運命史記陳世家に曰く「陳は舜の後なり。周の武王之を陳に封ず」と。太史公云う「舜の徳は至れり。夏に禅りて、後世血食する者、三代を歴たり。楚の陳を滅ぼすに及びて、田氏は政を斉に得、卒に建国を為し、百世絶えず」と。又た南越伝に云う「越は蛮夷なりと雖も、其の先豈に嘗て大功徳を人に有せんや。何ぞ其れ久しきや。数代を歴て、嘗て君王たり、勾践一たび伯を称す。蓋し禹の烈なり」と。
-
『長短経』運命〔議に曰く、夫れ吉凶は人に由り、興亡は徳に在り。前載に稽うるに、其の徳に在ること必せり。今、論者は堯・舜の嗣無きを以て、以為えらく命に在りと。此れ繆れり。何となれば、夫れ佐命の功臣は、必ず興る者有り。若し子に伝えしむれば、則ち功臣の徳廃る。何を以て之を言う。昔、鄭の桓公、太史伯に問いて曰く「周衰うれば、何れの国か興らん」と。対えて曰く「昔、祝融は高辛の火正と為る。其の功大なり。而して其の周に於けるや、未だ興る者有らず。楚は其の後なり。周衰うれば、楚必ず興らん。斉は姜姓、伯夷の後なり。伯夷は堯を佐けて礼を典る。秦は嬴姓、伯翳の後なり。伯翳は舜を佐けて百物を懐柔す。若し周衰うれば、並びに必ず興らん」と。是を以て班固の典引に云う「陶唐は胤を捨てて有虞に禅り、有虞も亦た夏后・稷・契に命じて載を煕め、成湯・武に越ぶ。股肱既に周く、天乃ち功を元首に帰し、将に漢の劉に授けんとす」と。此に由りて之を言えば、安くにか其の嗣無きに在らんや。
-
『長短経』臣行或るひと曰く「然らば則ち竇武・陳蕃、宦者と朝廷に衡を争い、終に誅せらる。非と為すか」と。范曄曰く「桓・霊の世、陳蕃の徒の若きは、咸な能く風声を樹立し、昏俗に抗論し、岨峗の中に駆馳して、腐夫と衡を争う。終に滅亡を取る者は、彼は情志を潔くし、埃霧を違るる能わざるに非ず。夫の世士の、俗を離るるを以て高しと為して、人倫相い恤む莫きを憫れむ。遯世を以て義に非ずと為す。故に屢しば退くも去らず。仁心を以て己が任と為す。道遠しと雖も弥いよ厲む。際会に遭値するに及び、策を竇武に協す。万代の一時と謂う可し。功は終わらずと雖も、然れども其の信義は以て世心を携持するに足る」と。〔議に曰く、此れ所謂義は生より重し、生を捨つるも可なり。〕
-
『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。