長短経 / 臣行
諸葛亮以馬謖敗於街亭、殺之。後蔣琬謂亮曰、“昔楚殺得臣、然後文公喜可知也。天下未定、而戮智計之士、豈不惜哉?”亮流涕曰、“孫武所以能制勝者、用法明也。是以楊干亂法、魏絳戮之。四海分裂、兵交方始、若復廢法、何用討賊耶?”習鑿齒曰、“諸葛亮之不能兼上國也、豈不宜哉?夫晉人視林父之後濟、故廢法而收功。楚成闇得臣之益已故殺之以重敗。今蜀僻陋一方、才少上國、而殺其駿傑、退收駑下之用、明法勝才、不師三敗之道、將以成業、不亦難乎?”
新字:諸葛亮以馬謖敗於街亭、殺之。後蒋琬謂亮曰、“昔楚殺得臣、然後文公喜可知也。天下未定、而戮智計之士、豈不惜哉?”亮流涕曰、“孫武所以能制勝者、用法明也。是以楊干乱法、魏絳戮之。四海分裂、兵交方始、若復廃法、何用討賊耶?”習鑿歯曰、“諸葛亮之不能兼上国也、豈不宜哉?夫晋人視林父之後済、故廃法而収功。楚成闇得臣之益已故殺之以重敗。今蜀僻陋一方、才少上国、而殺其駿傑、退収駑下之用、明法勝才、不師三敗之道、将以成業、不亦難乎?”
書き下し
諸葛亮、馬謖の街亭に敗るるを以て、之を殺す。後に蔣琬、亮に謂いて曰く「昔、楚は得臣を殺し、然る後に文公の喜び知る可し。天下未だ定まらずして、智計の士を戮す。豈に惜しからずや」と。亮、涕を流して曰く「孫武の能く勝を制する所以の者は、法を用うること明らかなればなり。是を以て楊干、法を乱し、魏絳之を戮す。四海分裂し、兵交わること方に始まる。若し復た法を廃せば、何を用てか賊を討たんや」と。習鑿歯曰く「諸葛亮の上国を兼ぬる能わざるは、豈に宜ならずや。夫れ晋人は林父の後に済すを視る。故に法を廃して功を収む。楚の成は得臣の己を益するに闇し。故に之を殺して以て敗を重ぬ。今、蜀は一方に僻陋にして、才は上国に少なし。而るに其の駿傑を殺し、退きて駑下の用を収む。法を明らかにして才に勝つ。三敗の道に師らず。将に以て業を成さんとす。亦た難からずや」と。
現代語訳
諸葛亮は馬謖が街亭で敗れたので、これを殺した。後に蔣琬が諸葛亮に言った。「昔、楚が成得臣を殺し、そのあとで晋の文公の喜びようが分かりました。天下がまだ定まらないのに、知恵と計略のある士を殺す。惜しくはありませんか」。諸葛亮は涙を流して言った。「孫武が勝ちを制することができた理由は、法の用い方が明らかだったからだ。だから楊干が法を乱したとき、魏絳はこれを殺した。天下は分裂し、戦いはまさに始まったばかりだ。もしまた法を廃したら、何によって賊を討つのか」。習鑿歯は言った。「諸葛亮が中原を併呑できなかったのは、当然ではないか。晋の人は荀林父が後に功を成すのを見た。だから法を曲げて功を収めた。楚の成王は成得臣が自分の益になることに暗かった。だからこれを殺して敗北を重ねた。いま蜀は片隅の狭い地にあり、人材は中原に比べて少ない。それなのにその俊才を殺し、退いて凡庸な者を用いる。法を明らかにすることが才に勝ってしまっている。三度の敗北の道に学ばない。それで事業を成そうとする。難しいではないか」。
解説

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『徂徠先生答問書』卷中一経済の儀何角と御穿鑿被仰聞候。但法と人との差別御勘弁被成候哉無心元存候。成程被仰下候ごとく、法もよき法有之候。とくと不仕法も有之候。依之法の吟味もなくて不叶事に候得共、経済を談候人、多くは只仕形の善悪計を吟味仕候は、道を不存候過にて候。苟非其人道不虚行と申事有之候。法よりは人猶肝要にて御座候。たとひ法は悪敷候共、人能候へば相応の利益は有之物に候。法計の吟味仕候て人悪鋪候へば何の用にも立不申候。又人に随て法は違候物に候。法は先王の法ほど吟味つまり候事は無之候へども、王莽王安石が周礼は毒を天下に流し申候。経済の法計を御穿鑿被成候て、人の僉議無之候は、白人医者の名方を集め候類にて候。
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『塩鉄論』詔聖篇御史默然として對えず。大夫曰く、瞽師は白黑を知らずして善く言を聞き、儒者は世を治むるを知らずして善く訾議す。夫れ善く天を言う者は之を人に合わせ、善く古を言う者は之を今に考う。令は何の為にか施かん。法は何の為にか加えん。湯・武は肌骨を全うして殷・周治まる。秦國之を用いて、法弊れて犯さる。二尺四寸の律、古今一なり。或いは以て治まり、或いは以て亂る。春秋は罪を原ね、甫刑は獄を制す。今、願わくは治亂の本、周・秦の然る所以を聞かん。
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