長短経 / 七雄略
大王嘗與呉人戰、五戰而三勝、陣卒盡矣、偏守新城、存民苦矣。臣聞、『功大者易危、而人弊者怨上。』夫守易危之功、而逆强秦之心、臣竊為大王危之。凡天下而信約從親者、蘓秦封為武安君也。蘓秦相燕、即隂與燕王謀伐齊、破齊而分其地。乃佯為有罪、出走入齊、齊王因受而相之。居二年而覺、齊王大怒、車裂蘓秦於市。夫以一詐偽之蘓秦、而欲經營天下、混一諸侯、其不可成亦明矣。今秦與楚接境壤界、固形親之國也。大王誠能聽臣、臣請使秦太子入質於楚、楚太子入質於秦、請以秦女為大王箕帚之妾、効萬室之都、以為湯沐之邑、長為昆弟之國、終身無相攻。臣以為計無便於此者。」楚王乃與秦從親。
新字:大王嘗与呉人戦、五戦而三勝、陣卒尽矣、偏守新城、存民苦矣。臣聞、『功大者易危、而人弊者怨上。』夫守易危之功、而逆強秦之心、臣窃為大王危之。凡天下而信約従親者、蘓秦封為武安君也。蘓秦相燕、即陰与燕王謀伐斉、破斉而分其地。乃佯為有罪、出走入斉、斉王因受而相之。居二年而覚、斉王大怒、車裂蘓秦於市。夫以一詐偽之蘓秦、而欲経営天下、混一諸侯、其不可成亦明矣。今秦与楚接境壤界、固形親之国也。大王誠能聴臣、臣請使秦太子入質於楚、楚太子入質於秦、請以秦女為大王箕帚之妾、効万室之都、以為湯沐之邑、長為昆弟之国、終身無相攻。臣以為計無便於此者。」楚王乃与秦従親。
書き下し
大王、嘗て呉人と戦い、五たび戦いて三たび勝つも、陣卒尽きたり。偏えに新城を守るも、存する民は苦しめり。臣聞く『功大なる者は危うき易く、人弊るる者は上を怨む』と。夫れ危うき易きの功を守りて、強秦の心に逆らう。臣、竊かに大王の為に之を危ぶむ。凡そ天下にして約を信じ従親する者は、蘇秦、封ぜられて武安君と為ればなり。蘇秦、燕に相たり、即ち陰かに燕王と斉を伐たんことを謀り、斉を破りて其の地を分かたんとす。乃ち佯りて罪有りと為し、出走して斉に入る。斉王、因りて受けて之に相たらしむ。居ること二年にして覚る。斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲するも、其の成る可からざるも亦た明らかなり。今、秦と楚と境を接し界を壌す。固より形親の国なり。大王、誠に能く臣に聴かば、臣請う、秦の太子をして質を楚に入れしめ、楚の太子をして質を秦に入れしめん。請う、秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して、以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、身を終うるまで相い攻むる無からん。臣、以為えらく計、此より便なるは無し」と。楚王、乃ち秦と従親す。
現代語訳
大王はかつて呉の人と戦い、五度戦って三度勝ったが、陣の兵は尽きた。ひたすら新城を守ったが、生き残った民は苦しんだ。私が聞くところでは『功が大きい者は危うくなりやすく、民が疲れれば上を怨む』といいます。危うくなりやすい功を守って、強い秦の意に逆らう。ひそかに大王のために危ぶみます。天下が約を信じて結んでいるのは、蘇秦が武安君に封じられたからです。蘇秦は燕の宰相となり、ひそかに燕王と斉を伐つことを謀り、斉を破って土地を分けようとした。そこで罪があるふりをして逃げ出し斉へ入った。斉王はこれを受け入れて宰相にした。二年して発覚した。斉王は大いに怒り、蘇秦を市場で車裂きにした。一人の偽り者の蘇秦で天下を経営し諸侯を一つにしようとしても、成らないのは明らかです。いま秦と楚は境を接している。もともと親しむべき形の国です。大王が私の言うことを聞いてくださるなら、秦の太子を楚に人質として入れ、楚の太子を秦に入れさせましょう。秦の女を大王の身の回りの妾とし、一万戸の都を差し出して湯浴みの費えの領地とし、永く兄弟の国となり、生涯攻め合わないようにする。これより便利な計はありません」。楚王はそこで秦と結んだ。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』七雄略凡そ大王の縦を為すと信ずる所の者は、蘇秦を恃めばなり。蘇秦は諸侯を熒惑し、是を以て非と為し、非を以て是と為し、斉国を反覆せんと欲して、自ら車裂を市に令す。夫れ天下の一混斉すべからざることも亦た明らかなり。今、楚は秦と昆弟の国たり。而して韓・梁は東藩の臣と称し、斉は魚塩の地を献ず。此れ趙の右臂を断つなり。夫れ右臂を断ちて人と闘い、其の党を失いて孤居し、危うきこと無からんことを求め欲するも、豈に得べけんや。今、秦は三軍を発す。其の一軍は午道を塞ぎ、斉に告げて師を興さしめ、河を渡りて邯鄲の東に軍せしむ。一軍は成皋に軍し、韓・梁の軍を河外に駆る。一軍は澠池に軍し、四国に約して趙を攻めしむ。趙服すれば、必ず其の地を四分せん。是の故に、敢えて意を匿し情を隠さず、先ず以て左右に聞す。臣竊かに大王の為に計るに、秦王と澠池に遇い、面相見て口相約するに如くは莫し。請う、兵を案じて攻むること無からん。願わくは大王の計を定めよ」と。趙の粛侯、之を許す。
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『長短経』七雄略大王、誠に能く臣に聴かば、臣請う、山東の国をして、四時の献を奉じて、以て大王の明詔を承け、社稷を委ね、宗廟を奉じ、士を陳ね兵を厲まし、大王の之を用うる所に在らしめん。故に縦合すれば則ち楚王たり、横成れば則ち秦帝たり。今、覇王の業を釈てて、人に事うるの名有り。竊かに大王の為に取らざるなり。夫れ秦は、虎狼の国なり。天下を呑むの心有り。秦は、天下の仇讐なり。衡人は皆な諸侯の地を割きて以て秦に事えんと欲す。此れ所謂仇を養いて讐に奉ずるなり。大逆不忠、此に過ぐるは無し。故に従親すれば則ち諸侯は地を割きて以て楚に事え、衡合すれば則ち楚は地を割きて以て秦に事う。此の両策は相い去ること遠し。二者、大王、何くに居らんや。故に敝邑の趙王、臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ。大王の詔に在り」と。楚王曰く「善し。謹みて社稷を奉じて以て従わん」と。
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『長短経』七雄略六国既に縦を合し、蘇秦、縦約の長と為る。北のかた趙に報ず。趙の粛侯、秦を封じて武安君と為す。乃ち縦約の書を秦に投ず。秦、敢えて兵を函谷に闚わざること十五年。後、張儀、秦の為に連衡す。〈秦、魏を攻めんと欲し、先ず韓を敗り、申差の軍、首を斬ること八万。諸侯震恐す。而して儀、乃ち来たりて魏王に説く。〉魏王に説きて曰く。〈秦の孝公の時、公孫鞅、魏を伐たんことを請いて曰く「魏は嶺阨の間に居り、西のかた安邑に都し、秦と河を界とす。而して独り山東の利を擅にす。利あれば則ち西のかた秦を侵し、病めば即ち東のかた地を収む。今、君の賢聖を以て、国は頼りて以て盛んなり。宜しく此の時に及びて魏を伐つべし。魏、秦を支えずんば、必ず東のかた徙らん。東のかた徙らば則ち山河の固きに拠り、東に向かいて以て諸侯を制せん。此れ帝業なり」と。是れ自り後、魏、果たして安邑を去り、都を大梁に徙す。〉
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『長短経』七雄略威王に説きて曰く「楚は、天下の強国なり。王は、天下の賢主なり。西に黔中・巫郡有り、東に夏州・海陽有り、南に洞庭・蒼梧有り、北に陘塞・郇陽有り。地は方五千余里、帯甲百万、車千乗、騎万匹、粟は十年を支う。此れ覇王の資なり。夫れ楚の強きと、大王の賢を以てすれば、天下、能く当たる莫し。今、乃ち西面して秦に事えば、則ち諸侯、西面して章台の下に朝せざる莫からん。秦の害する所、楚に如くは莫し。楚強ければ則ち秦弱く、秦強ければ則ち楚弱し。其の勢い両立せず。故に大王の為に計るに、従親して以て秦を孤にするに如くは莫し。大王、従親せずんば、秦、必ず両軍を起こさん。一軍は武関を出で、一軍は黔中に下らん。則ち鄢郢動かん。臣聞く、其の未だ乱れざるに之を治め、其の未だ有らざるに之を為す、と。患い至りて後に之を憂うれば、則ち及ぶ無きなり。故に願わくは大王、早く熟ら之を計れ。
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『長短経』七雄略今、竊かに聞く、大王の卒、武士二十万、倉頭・奮撃二十万、厮徒十万、車六百乗、騎六千匹、と。此れ越王勾践・武王に過ぐること遠し。今、乃ち群臣の説を聴きて、臣として秦に事えんと欲す。夫れ秦に事うれば必ず地を割きて以て実を効す。故に兵未だ用いずして国已に虧く。夫れ人臣と為りて其の主の地を割きて以て外交し、偸みて一旦の功を取りて、其の後を顧みず、公家を破りて私門を成し、外は強秦の勢いを挟みて、以て内は其の王を刧かして以て地を割かんことを求む。願わくは大王、熟ら之を察せよ。周書に曰く『綿綿として絶えずんば、蔓蔓として奈何せん。毫釐にして伐らずんば、将に斧柯を用いんとす』と。前に慮り未だ定まらずして、後に大患有り。将た之を奈何せん。大王、誠に能く臣に聴かば、六国従親し、心を専らにし力を并せば、則ち必ず強秦の患い無からん。故に敝邑の趙王、臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ。大王の之を詔するに在り」と。魏王曰く「謹みて教えを奉ぜん」と。
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戦国策・張儀為秦破從連橫張儀、秦の為に従を破りて連衡し、楚王に説きて曰わく、「秦の地天下に半ばし、兵四国に敵し、山を被り河を帯び、四塞以て固と為す。虎賁の士百余万、車千乗、騎万疋、粟丘山の如し。法令既に明らかにして、士卒難に安んじ死を楽しむ。主厳にして以て明らかに、将知にして以て武し。兵甲を出だす無しと雖も、常山の険を席巻し、天下の脊を折らば、天下後に服する者は先んじて亡びん。且つ夫れ従を為す者は、群羊を駆りて猛虎を攻むるに異なる無きなり。夫れ虎の羊に与するや、格せざること明らかなり。今大王猛虎に与せずして群羊に与す、竊かに以て大王の計過てりと為す。「凡そ天下の強国は、秦に非ずんば楚、楚に非ずんば秦なり。両国敵侔して交争し、其の勢い両立せず。而して大王秦に与せずんば、秦甲兵を下し、宜陽に拠り、韓の上地通ぜず、河東に下り、成皋を取らば、韓必ず秦に入臣せん。韓入臣すれば、魏則ち風に従いて動かん。秦楚の西を攻め、韓・魏其の北を攻めば、社稷豈に危うき無きを得んや。「且つ夫れ従を約する者は、群弱を聚めて至強を攻むるなり。夫れ弱を以て強を攻め、敵を料らずして軽く戦い、国貧しくして驟に兵を挙ぐるは、此れ危亡の術なり。臣之を聞く、兵如かざれば、与に挑戦する勿かれ、粟如かざれば、与に持久する勿かれと。夫れ従人なる者は、辯を飾り辞を虚しくし、主の節行を高くし、其の利を言いて其の害を言わず、卒に楚の禍い有るも、為す無きに及ばんのみ、是を以て願わくは大王の熟ら之を計られんことを。「秦西のかた巴蜀有り、船を方べて粟を積み、汶山より起こり、江に循いて下れば、郢に至ること三千余里。舫船卒を載せ、一舫五十人を載せ、三月の糧を与え、水を下りて浮かべば、一日行くこと三百余里、里数多しと雖も、馬汗の労を費やさず、十日に至らずして扞関に距らん。扞関驚けば、則ち竟陵より已東、尽く城守せん、黔中・巫郡は王の有に非ざるのみ。秦甲を挙げて之を武関より出だし、南面して攻めば、則ち北地絶えん。秦兵の楚を攻むるや、危難三月の内に在り。而るに楚は諸侯の救いを恃むも、半歳の外に在り、此れ其の勢い相い及ばざるなり。夫れ弱国の救いを恃みて、強秦の禍いを忘るるは、此れ臣の大王の為に患うる所以なり。且つ大王嘗て呉人と五戦して三勝して之を亡ぼすも、陳卒尽きたり、偏に新城を守るありて居民苦しめり。臣之を聞く、大を攻むる者は危うくなり易く、民弊るる者は上を怨むと。夫れ危うくなり易きの功を守りて、強秦の心に逆らうは、臣竊かに大王の為に之を危ぶむ。「且つ夫れ秦の甲を函谷関に出ださずして十五年、以て諸侯を攻めざる所以の者は、陰謀天下を呑むの心有ればなり。楚嘗て秦と難を構え、漢中に戦う。楚人勝たず、通侯・執珪死する者七十余人、遂に漢中を亡う。楚王大いに怒り、師を興して秦を襲い、藍田に戦うも、又郤く。此れ所謂両虎相い搏つ者なり。夫れ秦・楚相い弊れて、韓・魏全きを以て其の後を制せば、計此に過ぐる者無し、是を以て願わくは大王熟ら之を計られんことを。「秦兵を下して衛・陽晉を攻めば、必ず天下の匈を開扃せん、大王悉く兵を起こして以て宋を攻めば、数月に至らずして宋挙ぐべし。宋を挙げて東を指せば、則ち泗上十二諸侯、尽く王の有ならんのみ。「凡そ天下信じて従親堅しと為す所の者は蘇秦なり、封ぜられて武安君と為り燕に相たりしも、即ち陰かに燕王と斉を破りて共に其の地を分かたんことを謀る。乃ち罪有るを佯りて、出でて走りて斉に入る、斉王因りて受けて之を相とす。居ること二年にして覚れ、斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽反覆の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲するは、其の成るべからざること亦た明らかなり。「今秦の楚に与するや、境を接し壌を界し、固に形親の国なり。大王誠に能く臣に聴かば、臣請う秦の太子をして楚に入質せしめ、楚の太子をして秦に入質せしめ、請う秦の女を以て大王の箕箒の妾と為し、万家の都を効し、以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、終身相い攻撃すること無からんことを。臣以為えらく計此より便なる者無しと。故に敝邑の秦王、使臣をして書を大王の従車の下風に献ぜしめ、須って以て事を決せんことを。」楚王曰わく、「楚国僻陋にして、東海の上に託す。寡人年幼くして、国家の長計に習わず。今上客幸いに教うるに明制を以てす、寡人之を聞き、敬んで国を以て従わん。」乃ち使いを遣わして車百乗、雞駭の犀、夜光の璧を秦王に献ず。