長短経 / 難必
何以言之〔語曰、羿關弧則越人之行自若、弱子關弧則慈母入室閉户故可必則越人不疑羿、不可必則慈母逃弱子也。?〕魏文侯問狐巻子曰、“父子、君臣之賢足恃乎?”對曰、“不足恃也。何者?父賢不過堯、而丹朱放、子賢不過舜、而瞽瞍拘、兄賢不過舜、而象傲、弟賢不過周公、而管蔡誅、臣賢不過湯武、而桀紂伐。望人者不至、恃人者不久。君欲理、亦從身始、人何可恃乎!”
新字:何以言之〔語曰、羿関弧則越人之行自若、弱子関弧則慈母入室閉戸故可必則越人不疑羿、不可必則慈母逃弱子也。?〕魏文侯問狐巻子曰、“父子、君臣之賢足恃乎?”対曰、“不足恃也。何者?父賢不過堯、而丹朱放、子賢不過舜、而瞽瞍拘、兄賢不過舜、而象傲、弟賢不過周公、而管蔡誅、臣賢不過湯武、而桀紂伐。望人者不至、恃人者不久。君欲理、亦従身始、人何可恃乎!”
書き下し
何を以て之を言う〔語に曰く、羿弧を関けば則ち越人の行くこと自若たり。弱子弧を関けば則ち慈母室に入りて戸を閉ざす。故に必とすべければ則ち越人も羿を疑わず、必とすべからざれば則ち慈母も弱子を逃る〕。魏の文侯、狐巻子に問いて曰く「父子・君臣の賢は恃むに足るか」と。対えて曰く「恃むに足らざるなり。何となれば、父の賢は堯に過ぎざるも、丹朱は放たる。子の賢は舜に過ぎざるも、瞽瞍は拘わる。兄の賢は舜に過ぎざるも、象は傲る。弟の賢は周公に過ぎざるも、管・蔡は誅せらる。臣の賢は湯・武に過ぎざるも、桀・紂は伐たる。人を望む者は至らず、人を恃む者は久しからず。君理めんと欲せば、亦た身より始めよ。人何ぞ恃むべけんや」と。
現代語訳
何によってこれを言うのか〔ことわざに言う。弓の名人羿が弓を引いても、越の人は平気で通り過ぎる。幼い子が弓を引けば、慈しみ深い母でも部屋に入って戸を閉める。だから、必ず当たると確かなら越の人も羿を疑わず、確かでなければ母でも我が子から逃げる〕。魏の文侯は狐巻子に問うた。「父子や君臣が賢ければ頼りになるか」。狐巻子は答えた。「頼りになりません。なぜなら、父の賢さで堯を超える者はいないのに、子の丹朱は追放されました。子の賢さで舜を超える者はいないのに、父の瞽瞍は拘束されました。兄の賢さで舜を超える者はいないのに、弟の象は傲慢でした。弟の賢さで周公を超える者はいないのに、兄弟の管叔・蔡叔は誅殺されました。臣の賢さで湯王・武王を超える者はいないのに、主君の桀・紂は伐たれました。人に期待する者は望みが届かず、人に頼る者は長続きしません。君が国を治めたいなら、自分自身から始めてください。どうして人を頼れましょう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。