長短経 / 懼戒
淮南王安怨望厲王死〔厲王長、淮南王安父也。長謀反、檻車遷蜀、至雍、死。上憐之、封其三子、以安為淮南王也。、〕欲謀叛逆、未有因也。及削地之後、其為謀益甚。與左吳等日夜按輿地圖、部署兵所從入。召伍被與謀、曰、「上寛赦大王、王復安得亡國之言乎!臣聞子胥諫吳王、吳王不用、子胥曰、『臣今見麋鹿遊于姑蘇之臺。』臣今亦見宫中生荆棘、霧露沾衣也。臣聞、聰者聽于無聲、明者見于未形。故聖人萬舉萬全。昔文王一動、而功顯于世、列為三代、此所謂因天心以化者也、故海内不期而隨。此千嵗之可見者。夫百年之秦、近世之吳楚、亦足以喻國家之存亡矣。臣不敢避子胥之誅、願大王無為吳王之聽。
新字:淮南王安怨望厲王死〔厲王長、淮南王安父也。長謀反、檻車遷蜀、至雍、死。上憐之、封其三子、以安為淮南王也。、〕欲謀叛逆、未有因也。及削地之後、其為謀益甚。与左呉等日夜按輿地図、部署兵所従入。召伍被与謀、曰、「上寛赦大王、王復安得亡国之言乎!臣聞子胥諫呉王、呉王不用、子胥曰、『臣今見麋鹿遊于姑蘇之台。』臣今亦見宮中生荆棘、霧露沾衣也。臣聞、聰者聴于無声、明者見于未形。故聖人万舉万全。昔文王一動、而功顕于世、列為三代、此所謂因天心以化者也、故海内不期而随。此千歳之可見者。夫百年之秦、近世之呉楚、亦足以喩国家之存亡矣。臣不敢避子胥之誅、願大王無為呉王之聴。
書き下し
淮南王安、厲王の死を怨望し〔厲王長は、淮南王安の父なり。長謀反し、檻車にて蜀に遷され、雍に至りて死す。上之を憐れみ、其の三子を封じ、安を以て淮南王と為すなり〕、叛逆を謀らんと欲するも、未だ因有らず。削地の後に及びて、其の謀を為すこと益々甚だし。左呉等と日夜輿地図を按じ、兵の従いて入る所を部署す。伍被を召して与に謀る。曰く「上、大王を寛赦す。王、復た安んぞ亡国の言を得んや。臣聞く、子胥、呉王を諫むるも、呉王用いず。子胥曰く『臣今、麋鹿の姑蘇の台に遊ぶを見る』と。臣も今亦た宮中に荊棘生じ、霧露衣を沾すを見る。臣聞く、聡き者は無声に聴き、明なる者は未形に見る、と。故に聖人は万挙万全なり。昔、文王一たび動きて、功は世に顕れ、列して三代と為る。此れ所謂天心に因りて以て化する者なり。故に海内期せずして随う。此れ千歳の見るべき者なり。夫れ百年の秦、近世の呉楚も、亦た以て国家の存亡を喩うるに足る。臣は敢えて子胥の誅を避けず。願わくは大王、呉王の聴を為すこと無かれ。
現代語訳
淮南王劉安は、父の厲王の死を恨んでいた〔厲王劉長は淮南王劉安の父である。劉長は謀反を企て、檻の車で蜀に流される途中、雍で死んだ。天子はこれを憐れんで三人の子を封じ、劉安を淮南王とした〕。反逆を企てたかったが、きっかけがなかった。領地を削られてからは、ますます企てを進めた。左呉らと日夜地図を調べ、兵を入れる経路を割り振った。伍被を呼んで相談すると、伍被は言った。「天子は大王を寛大に許されました。王はどうしてまた国を滅ぼすようなことを口にされるのですか。伍子胥は呉王を諫めましたが、呉王は聞き入れませんでした。伍子胥は『いま私には、姑蘇台に鹿が遊んでいるのが見える』と言いました。私にもいま、宮中にいばらが生え、霧と露が衣を濡らしているのが見えます。耳のさとい者は音のないところに聞き、目の明らかな者は形になる前に見ると聞きます。だから聖人は何をしても万全なのです。昔、文王が一度動くと、功は世に顕れ、三代の一つに列しました。これは天の心に従って人を化したからで、天下は申し合わせもなく従いました。これは千年たっても見てとれることです。百年続いた秦、近ごろの呉楚の乱も、国の存亡のたとえとして十分です。私は伍子胥のように誅されることを避けません。どうか大王、呉王のように諫めを聞かない君主にならないでください」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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