長短経 / 昏智
《尸子》曰、「夫呉越之國、以臣妾為殉。中國聞而非之。及怒、則以親戚殉一言。夫智在公則愛呉越之臣妾、在私則忘其親戚。非智損也、怒奪之也。〔此昏于怒者也。〕好亦然矣。語曰、莫知其子之惡。非智損也、愛奪之也。〔此昏于愛者也。〕
新字:《尸子》曰、「夫呉越之国、以臣妾為殉。中国聞而非之。及怒、則以親戚殉一言。夫智在公則愛呉越之臣妾、在私則忘其親戚。非智損也、怒奪之也。〔此昏于怒者也。〕好亦然矣。語曰、莫知其子之悪。非智損也、愛奪之也。〔此昏于愛者也。〕
書き下し
尸子に曰く「夫れ呉越の国は、臣妾を以て殉とす。中国聞きて之を非る。怒るに及びては、則ち親戚を以て一言に殉ず。夫れ智は公に在れば則ち呉越の臣妾を愛し、私に在れば則ち其の親戚を忘る。智の損するに非ざるなり。怒り之を奪うなり」と〔此れ怒りに昏き者なり〕。好むも亦た然り。語に曰く「其の子の悪を知る莫し」と。智の損するに非ざるなり。愛之を奪うなり〔此れ愛に昏き者なり〕。
現代語訳
『尸子』に言う。「呉や越の国では、臣下や召使いを殉死させる。中国の人はそれを聞いて非難する。ところが自分が怒ると、一言のために親族を死なせる。知恵が公にあるときは呉越の臣下や召使いさえ哀れむのに、私にあるときは自分の親族さえ忘れる。知恵が減ったのではない。怒りが知恵を奪ったのである」〔これは怒りに心を曇らされた例である〕。好むこともまた同じである。ことわざに「自分の子の悪は知らない」とある。知恵が減ったのではない。愛情が知恵を奪ったのである〔これは愛に心を曇らされた例である〕。
解説
遠い国の殉死の風習を残酷だと非難できる人が、自分が怒ったときには一言のために身内を死なせる。知恵が消えたのではなく、怒りが奪ったのだ。同じように、親は我が子の欠点が見えない。これも知恵の欠如ではなく、愛情が奪っている。怒りと愛は反対の感情に見えますが、どちらも自分に近い事柄ほど判断を狂わせる点で同じです。感情が強く動いているときは、自分の判断を一度疑ってみる必要があります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
昏智尸子怒り愛情感情判断
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