長短経 / 覇図
崩、太子徹立。〔是為武帝。〕崩、子勿陵立。〔是為昭帝。霍光輔政、上官桀害光寵、詐為帝兄燕王旦上書、稱光行上林稱蹕、又私調校尉。帝不信、而上官桀詐偽事果發、伏誅。〕崩、立武帝孫昌邑王賀。〔賀、昌邑哀王髆之子。即位二十七日、事有千一百二十七條、霍光廢賀為海昏侯也。〕廢、立武帝曽孫詢〔是為宣帝衛太子之孫。〕崩、立太子奭〔是為元帝。〕崩、立太子鷔〔是為成帝。委政諸舅王鳯等、同日拜鳯兄弟五人為侯、號曰、「五侯。」五侯皆專政也。〕崩、立宣帝孫定陶恭王子欣〔是為哀帝。即位六年崩、無嗣。〕崩、立帝弟中山孝王衎。〔是為平帝。帝年㓜為王莽所酖。崩、立宣帝𤣥孫嬰。是為孺子、莽廢嬰自立。〕
新字:崩、太子徹立。〔是為武帝。〕崩、子勿陵立。〔是為昭帝。霍光輔政、上官桀害光寵、詐為帝兄燕王旦上書、称光行上林称蹕、又私調校尉。帝不信、而上官桀詐偽事果発、伏誅。〕崩、立武帝孫昌邑王賀。〔賀、昌邑哀王髆之子。即位二十七日、事有千一百二十七条、霍光廃賀為海昏侯也。〕廃、立武帝曽孫詢〔是為宣帝衛太子之孫。〕崩、立太子奭〔是為元帝。〕崩、立太子鷔〔是為成帝。委政諸舅王鳳等、同日拝鳳兄弟五人為侯、号曰、「五侯。」五侯皆専政也。〕崩、立宣帝孫定陶恭王子欣〔是為哀帝。即位六年崩、無嗣。〕崩、立帝弟中山孝王衎。〔是為平帝。帝年幼為王莽所酖。崩、立宣帝玄孫嬰。是為孺子、莽廃嬰自立。〕
書き下し
崩じ、太子徹立つ。〈是を武帝と為す。〉崩じ、子勿陵立つ。〈是を昭帝と為す。霍光、政を輔く。上官桀、光の寵を害い、詐りて帝の兄燕王旦の上書を為り、光、上林を行くに蹕を称し、又た私に校尉を調ぶと称す。帝、信ぜず。而して上官桀の詐偽の事、果たして発し、伏誅す。〉崩じ、武帝の孫昌邑王賀を立つ。〈賀は、昌邑哀王髆の子なり。即位二十七日、事に千一百二十七条有り。霍光、賀を廃して海昏侯と為すなり。〉廃し、武帝の曽孫詢を立つ。〈是を宣帝と為す。衛太子の孫なり。〉崩じ、太子奭を立つ。〈是を元帝と為す。〉崩じ、太子鷔を立つ。〈是を成帝と為す。政を諸舅王鳳等に委ね、同日に鳳の兄弟五人を拝して侯と為す。号して五侯と曰う。五侯、皆な政を専らにするなり。〉崩じ、宣帝の孫定陶恭王の子欣を立つ。〈是を哀帝と為す。即位六年にして崩ず。嗣無し。〉崩じ、帝の弟中山孝王衎を立つ。〈是を平帝と為す。帝、年幼くして王莽の為に酖せらる。崩じ、宣帝の玄孫嬰を立つ。是を孺子と為す。莽、嬰を廃して自立す。〉
現代語訳
崩じて太子徹が立った。〈これが武帝である。〉崩じて子の弗陵が立った。〈これが昭帝である。霍光が政を輔けた。上官桀は霍光の寵を損なおうとして、帝の兄である燕王旦の上書を偽造し、霍光が上林苑を行くとき天子のように道を清めさせ、また勝手に校尉を調べたと訴えた。帝は信じなかった。そして上官桀の偽造が発覚し、誅された。〉崩じて武帝の孫昌邑王賀を立てた。〈賀は昌邑哀王髆の子である。即位二十七日で、不行跡が千百二十七件あった。霍光は賀を廃して海昏侯とした。〉廃して武帝の曽孫詢を立てた。〈これが宣帝で、衛太子の孫である。〉崩じて太子奭を立てた。〈これが元帝である。〉崩じて太子驁を立てた。〈これが成帝である。政を母方の叔父王鳳らに委ね、同じ日に王鳳の兄弟五人を侯とした。五侯と呼ぶ。五侯はみな政を専らにした。〉崩じて宣帝の孫、定陶恭王の子の欣を立てた。〈これが哀帝である。即位六年で崩じ、後継がなかった。〉崩じて帝の弟の中山孝王衎を立てた。〈これが平帝である。幼くして王莽に毒殺された。崩じて宣帝の玄孫嬰を立てた。これが孺子である。王莽は嬰を廃して自立した。〉
解説

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