長短経 / 三国権
先主圍成都數十日、璋出降。蜀中殷盛豐樂、先主置酒大饗士卒、取蜀城中金銀分賜將士、還其榖帛。初攻劉璋、備與士衆約曰、「若事定、府庫百物、孤無豫焉!」及拔城都、士衆皆捨干戈赴諸藏、競取寳物。軍用不足、備甚憂之、劉巴曰、「易耳!但當鑄直百錢、平諸物價、令吏為官市。」備從之。數月之間、府庫充實。先主領㿽州牧、諸葛亮為股肱、法正為謀主、關侯張飛、馬超為爪牙、許靖、縻竺、簡雍為賔友。董和、黄權、李嚴等本璋之援用也、吴壹、費觀等又璋之婚親也、彭羕者、又璋之所排擯也、劉巴者、宿昔之所忌恨也。皆處之顯任、盡其器能。有志之士無不競勸也。〕
新字:先主囲成都数十日、璋出降。蜀中殷盛豊楽、先主置酒大饗士卒、取蜀城中金銀分賜将士、還其穀帛。初攻劉璋、備与士衆約曰、「若事定、府庫百物、孤無予焉!」及抜城都、士衆皆捨干戈赴諸蔵、競取宝物。軍用不足、備甚憂之、劉巴曰、「易耳!但当鋳直百銭、平諸物価、令吏為官市。」備従之。数月之間、府庫充実。先主領㿽州牧、諸葛亮為股肱、法正為謀主、関侯張飛、馬超為爪牙、許靖、縻竺、簡雍為賓友。董和、黄権、李厳等本璋之援用也、呉壱、費観等又璋之婚親也、彭羕者、又璋之所排擯也、劉巴者、宿昔之所忌恨也。皆処之顕任、尽其器能。有志之士無不競勧也。〕
書き下し
先主、成都を囲むこと数十日、璋出でて降る。蜀中殷盛豊楽なり。先主、酒を置き大いに士卒を饗し、蜀の城中の金銀を取りて将士に分賜し、其の穀帛を還す。初め劉璋を攻むるに、備、士衆と約して曰く「若し事定まらば、府庫の百物、孤は予ること無し」と。成都を抜くに及び、士衆皆干戈を捨てて諸蔵に赴き、競いて宝物を取る。軍用足らず、備甚だ之を憂う。劉巴曰く「易きのみ。但だ当に直百銭を鋳、諸物の価を平らにし、吏をして官市を為さしむべし」と。備之に従う。数月の間に、府庫充実す。先主、益州牧を領し、諸葛亮を股肱と為し、法正を謀主と為し、関侯・張飛・馬超を爪牙と為し、許靖・麋竺・簡雍を賓友と為す。董和・黄権・李厳等は、本と璋の援用する所なり。呉壹・費観等は、又た璋の婚親なり。彭羕は、又た璋の排擯する所なり。劉巴は、宿昔の忌恨する所なり。皆之を顕任に処き、其の器能を尽くさしむ。有志の士、競い勧まざるは無きなり。〕
現代語訳
劉備は成都を数十日囲み、劉璋は出て降伏した。蜀の中は豊かで栄えていた。劉備は酒宴を設けて兵を大いにねぎらい、城中の金銀を取って将兵に分け与え、穀物と布は民に返した。はじめ劉璋を攻めるとき、劉備は兵と約束していた。「事が成ったら、蔵の品には私は一切手をつけない」。成都を落とすと、兵は皆武器を捨てて蔵に殺到し、争って宝物を取った。軍の費用が足りなくなり、劉備はひどく心配した。劉巴が言った。「たやすいことです。百銭の値打ちの銭を鋳造し、物価を安定させ、役人に官営の市場を開かせればよい」。劉備はこれに従い、数か月で蔵は満ちた。劉備は益州牧となり、諸葛亮を手足とし、法正を謀の中心とし、関羽・張飛・馬超を爪と牙とし、許靖・麋竺・簡雍を賓客・友とした。董和・黄権・李厳らはもともと劉璋が用いた者、呉壹・費観らは劉璋の姻戚、彭羕は劉璋に退けられた者、劉巴は劉備が昔から恨んでいた者だった。それでも皆を重要な役職につけ、その才能を存分に発揮させた。志ある士で、競って励まない者はなかった。〕
解説

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