長短経 / 臣行
代以周勃功大霍光、何如?對曰、“勃本髙帝大臣、衆所歸向、居太尉位、擁兵百萬、既有陳平、王陵之力、又有朱虛諸王之援、酈寄遊說、以譎諸吕、因衆之心、易以濟事。若霍光者、以倉卒之際、受寄託之任、輔弼幼主、天下晏然。遭燕王旦之亂、誅除凶逆、以靖王室。廢昌邑、立孝宣、任漢家之重、隆中興之祚、㕘聲伊周、為漢賢相。推驗事效、優劣明矣。”
新字:代以周勃功大霍光、何如?対曰、“勃本高帝大臣、衆所帰向、居太尉位、擁兵百万、既有陳平、王陵之力、又有朱虚諸王之援、酈寄遊説、以譎諸呂、因衆之心、易以済事。若霍光者、以倉卒之際、受寄託之任、輔弼幼主、天下晏然。遭燕王旦之乱、誅除凶逆、以靖王室。廃昌邑、立孝宣、任漢家之重、隆中興之祚、㕘声伊周、為漢賢相。推験事効、優劣明矣。”
書き下し
代に周勃の功を以て霍光より大なりとす。何如。対えて曰く「勃は本と高帝の大臣、衆の帰向する所なり。太尉の位に居り、兵百万を擁す。既に陳平・王陵の力有り。又た朱虚諸王の援有り。酈寄遊説して、以て諸呂を譎る。衆の心に因り、以て事を済し易し。霍光の若き者は、倉卒の際を以て、寄託の任を受け、幼主を輔弼し、天下晏然たり。燕王旦の乱に遭い、凶逆を誅除して、以て王室を靖んず。昌邑を廃し、孝宣を立て、漢家の重きに任じ、中興の祚を隆んにす。声を伊・周に参じ、漢の賢相と為る。事効を推験するに、優劣明らかなり」と。
現代語訳
世間では周勃の功績が霍光より大きいとする。どうか。答えて言った。「周勃はもともと高帝の大臣で、人々が心を寄せていた。太尉の位にあり、百万の兵を擁していた。すでに陳平と王陵の力があり、また朱虚侯ら諸王の支援もあった。酈寄が遊説して呂氏一族を欺いた。人々の心に乗ったので、事を成すのは容易だった。霍光のほうは、あわただしい間に後事を託される任を受け、幼い主君を補佐し、天下は静かだった。燕王旦の乱に遭い、凶逆を誅除して王室を安んじた。昌邑王を廃し、宣帝を立て、漢家の重責を担い、中興の位を盛んにした。名声を伊尹・周公と並べ、漢の賢相となった。事の効果を検証すれば、優劣は明らかである」。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』備城門凡そ圍城を守るの法、厚くして以て髙く、壕や深くして以て廣く、樓撕・揗守の備え、繕い利し。薪食は以て三月以上に交うるに足り、人衆は以て選び、吏尺は和し、大臣の上に功勞有る者は多く、主は信にして義を以てし、萬民、之を樂しむこと窮まり無し。然らずんば、父母の墳墓、焉に在り。然らずんば、山林草澤の饒、利するに足る。然らずんば、地形の攻め難くして守り易きなり。然らずんば、則ち敵に深き怨み有りて上に大功有り。然らずんば、則ち賞、眀らかにして信ず可く、罰、嚴にして畏るるに足るなり。
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『墨子』魯問子墨子、公尚過を越に游ばしむ。公尚過、越王に説く。越王、大いに説び、公尚過に謂いて曰く、「先生、茍くも能く子墨子をして越に於いて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子墨子に封ぜん」と。公尚過、許諾す。遂に公尚過の為に車五十乗を束ね、以て子墨子を魯に迎えて曰く、「吾れ夫子の道を以て越王に説く。越王、大いに悦びて過に謂いて曰く、『茍くも能く子墨子をして越に至りて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子を封ぜん』と」。子墨子、公尚過に謂いて曰く、「子、越王の志を觀るに何若。意うに越王、将に吾が言を聴き、吾が道を用いんとせば、則ち翟、将に往かんとす。腹を量りて食い、身を度りて衣し、自ら羣臣に比せん。奚んぞ能く封を以て為さんや。抑そも越、吾が言を聴かず、吾が道を用いずして、我れ往かば、則ち是れ我れ義を以て糶るなり。之を糶るに鈞しくんば、亦た中國に於いてするのみ。何ぞ必ずしも越に於いてせんや」と。
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『墨子』非攻下今、夫の師なる者の相い不利を為す者や、曰く、將、勇ならず、士、分たず、兵、利からず、教、習わず、師、衆からず、卒、和せず、威、圉がず、之を害すること久しからず、之を争うこと疾からず、之に孫うこと强からず、心を植うること堅からず、與國の諸侯、疑う。與國の諸侯、疑えば、則ち敵、慮を生じて意、嬴らん。
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『墨子』七患今、其の子を負いて汲む者有り、其の子を井中に隊とせば、其の母は必ず従いて之を拯わん。今、嵗凶に、民饑え、道に餓うるは、此の疚み、子を隊とすより重し。其れ察する無かる可けんや。故に時年、嵗善ければ、則ち民は仁にして且つ良し。時年、嵗凶なれば、則ち民は吝にして且つ惡し。夫れ民に何の常か之れ有らん。為す者寡く、食らう者衆ければ、則ち嵗に豐なること無し。故に曰く、「財足らざれば則ち之を時に反り、食足らざれば則ち之を用に反る」と。故に先民は時を以て財を生じ、本を固くして財を用う、則ち財足る。故に上世の聖王と雖も、豈に能く五榖をして常に收まらしめて、旱水をして至らざらしめんや。然れども凍餓の民無き者は、何ぞや。其の力むること時に急にして、自ら養うこと儉なればなり。故に夏書に曰く「禹に七年の水あり」、殷書に曰く「湯に五年の旱あり」と。此れ其の凶餓に離るること甚し。然れども民の凍餓せざる者は、何ぞや。其の財を生ずること密にして、其の之を用うること節なればなり。
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