長短経 / 君徳
宋、齊二代、廢主有五、並驕淫狂暴、前後如一。或身被賊殺、或傾墜宗社。豈厥性頑凶自貽非命、將天之所棄、用亡大業乎?虞南曰、「夫上智下愚、特稟異氣、中庸之才、皆由訓習。自宋、齊已來、東宫師傅、備員而已。貴賤禮隔、規獻無由、多以位升、罕由徳進。此五君者、稟凡庸之性、無周、召之師、逺益友之箴規、狎宵人之近習、以斯下質、生而楚言、覆國亡身、理數然也。」
新字:宋、斉二代、廃主有五、並驕淫狂暴、前後如一。或身被賊殺、或傾墜宗社。豈厥性頑凶自貽非命、将天之所棄、用亡大業乎?虞南曰、「夫上智下愚、特稟異気、中庸之才、皆由訓習。自宋、斉已来、東宮師傅、備員而已。貴賤礼隔、規献無由、多以位升、罕由徳進。此五君者、稟凡庸之性、無周、召之師、遠益友之箴規、狎宵人之近習、以斯下質、生而楚言、覆国亡身、理数然也。」
書き下し
宋・斉の二代、廃主に五有り。並びに驕淫狂暴、前後一の如し。或いは身は賊殺せられ、或いは宗社を傾墜す。豈に厥の性頑凶にして自ら非命を貽すか。将た天の棄つる所にして、用て大業を亡ぼすか。虞南曰く「夫れ上智下愚は、特だ異気を稟く。中庸の才は、皆な訓習に由る。宋・斉より已来、東宮の師傅は、員を備うるのみ。貴賤礼隔たり、規献由る無し。多く位を以て升り、罕に徳に由りて進む。此の五君なる者は、凡庸の性を稟け、周・召の師無く、益友の箴規を遠ざけ、宵人の近習に狎る。斯の下質を以て、生まれながらにして楚言す。国を覆し身を亡ぼすは、理数然るなり」と。
現代語訳
宋と斉の二代に、廃された君主が五人いる。みな驕り淫らで狂暴であり、前も後も同じであった。ある者は自身が殺され、ある者は国家を傾け落とした。彼らの性質が頑迷で凶暴だったために自ら非業の死を招いたのか。それとも天に見捨てられて大業を滅ぼしたのか。虞世南は言った。「最上の智者と最下の愚者は、特別な気を受けている。中程度の才は、みな教えと習慣によって決まる。宋・斉以来、皇太子の師傅は、定員を埋めるだけのものになった。貴賤の礼が隔たり、諫めを献じる道がない。多くは地位によって昇り、めったに徳によって進まない。この五人の君主は、平凡な性質を受けて生まれ、周公・召公のような師がなく、ためになる友の戒めを遠ざけ、卑しい者の側近に馴れた。この下等な素質のまま、生まれながらに楚の言葉を話した。国を覆し身を滅ぼしたのは、道理として当然である」。
解説

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