長短経 / 覇図
號更始便世祖為偏將軍、徇昆陽。王莽聞漢帝立、大懼。遣大司徒王尋、大司空王邑、將兵百萬、撃世祖於昆陽。世祖破之。〔初、伯升㧞宛已三日、而世祖尚未知、乃偽使人持書報城中、「宛下兵到」、而佯墮下其書、尋、邑得之、不喜。諸将既經屢捷、膽氣益壮無不一當百、世祖乃與敢死者三千人、從城西出、衝中堅。尋、邑陳亂、乘鋭奔之、遂殺王尋。莽兵大潰、走者自相騰踐、奔殪百餘里、間會大雷風、雨下如注滍水盛溢、虎豹皆戰慓溺死者以萬數、水為之不流。〕
新字:号更始便世祖為偏将軍、徇昆陽。王莽聞漢帝立、大懼。遣大司徒王尋、大司空王邑、将兵百万、撃世祖於昆陽。世祖破之。〔初、伯升抜宛已三日、而世祖尚未知、乃偽使人持書報城中、「宛下兵到」、而佯堕下其書、尋、邑得之、不喜。諸将既経屢捷、胆気益壮無不一当百、世祖乃与敢死者三千人、従城西出、衝中堅。尋、邑陳乱、乗鋭奔之、遂殺王尋。莽兵大潰、走者自相騰践、奔殪百余里、間会大雷風、雨下如注滍水盛溢、虎豹皆戦慓溺死者以万数、水為之不流。〕
書き下し
更始と号し、便ち世祖を偏将軍と為し、昆陽を徇えしむ。王莽、漢帝立つと聞き、大いに懼る。大司徒王尋・大司空王邑を遣わし、兵百万を将いて、世祖を昆陽に撃たしむ。世祖、之を破る。〈初め、伯升、宛を抜きて已に三日なるも、世祖は尚お未だ知らず。乃ち偽りて人をして書を持ちて城中に報ぜしむ「宛下の兵到る」と。而して佯りて其の書を堕とす。尋・邑、之を得て、喜ばず。諸将、既に屢々捷を経て、胆気益々壮んに、一を以て百に当たらざる無し。世祖、乃ち敢死の者三千人と、城の西より出で、中堅を衝く。尋・邑、陳乱る。鋭に乗じて之に奔り、遂に王尋を殺す。莽の兵、大いに潰ゆ。走る者、自ら相い騰践し、奔り殪るること百余里。間、大雷風に会い、雨、下ること注ぐが如し。滍水盛んに溢れ、虎豹皆な戦慓し、溺死する者万を以て数え、水、之が為に流れず。〉
現代語訳
更始と号し、そこで世祖を偏将軍として昆陽を従わせた。王莽は漢の帝が立ったと聞いて大いに恐れた。大司徒王尋と大司空王邑を遣わし、兵百万を率いて世祖を昆陽で撃たせた。世祖はこれを破った。〈はじめ、伯升が宛を落として三日経っていたが、世祖はまだ知らなかった。そこで偽って人に手紙を持たせて城中へ報告させた。「宛の軍が到着した」と。そしてわざとその手紙を落とした。王尋と王邑はこれを拾って喜ばなかった。諸将は何度も勝ってきたので気力がますます盛んで、一人で百人に当たらない者はなかった。世祖は決死の三千人とともに城の西から出て、本陣を衝いた。王尋と王邑の陣は乱れた。鋭い勢いで駆け込み、ついに王尋を殺した。王莽の兵は大いに潰えた。逃げる者は互いに踏み合い、倒れ死ぬ者が百余里に及んだ。おりしも大雷雨に遭い、雨は注ぐように降った。滍水があふれ、虎や豹も震え、溺死する者は万を数え、川は流れが止まった。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図東都太守翟義反し、敗れて死す。〈義は丞相方進の子。地に劉信を立てて天子と為すなり。〉莽、自ら謂えらく威徳遂に盛んにして、天人の助けを獲たりと。銅匱の符命を用いて、遂に真に即く。〈梓潼の人哀章、銅匱の符命を上る。〉其の九年、赤眉の賊起こる。〈瑯邪の女子、呂母、子の為に仇を報ず。党衆、復た浸く多し。赤眉の賊と号す。〉十四年、世祖兵を起こし、王匡等と共に劉聖公を立てて更始皇帝と為す。〈更始は、即ち世祖の族兄なり。世祖及び兄伯升と新市・平林の兵士王匡等と、軍を合わせて棘陽を攻む。〉莽、王尋・王邑を遣わして更始を撃たしむ。二人、兵を昆陽に敗る。漢兵、遂に城中に入る。人皆な降る。莽、漸台に走り、室中の北隅に蔵る。間、校尉孫賓就、莽を斬る。遂に首を伝えて宛の更始に詣らしむ。
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『長短経』覇図世祖の威声、日に盛んなり。更始、疑慮し、乃ち使いを遣わして世祖を立てて蕭王と為し、兵を罷め、諸将の功有る者と長安に還らしむ。苗魯を遣わして幽州牧と為し、韋順を上谷守と為し、並びに北のかた郡に之かしむ。〈時に世祖、邯鄲の宮に居る。耿弇、間を請いて説きて曰く「今、更始は政を失い、君臣淫乱す。諸将は命を畿外に擅にし、貴戚は都内に縦横す。天子の命、城門を出でず、拝する所の牧守は輒ち自ら遷易す。百姓、従う所を知らず、士人、敢えて自ら安んずる莫し。財物を虜掠し、婦女を刧掠す。金玉を懐く者、生きて帰らざるに至る。元元、心を叩き、更に王莽を思う。又た銅馬・赤眉の属、数十輩、数は百万に及ぶ。聖公、弁ずる能わざるなり。其の敗るること久しからず。公、首めに事を南陽に挙げ、百万の軍を破る。今、河北を定め、天府の地に拠り、義を以て征伐し、号を発すれば響応せん。天下、檄を馳せて定む可し。天下は至って重し。他姓をして之を得しむ可からず。聞く、使者、西方より来たり、兵を罷めんと欲すと。従う可からざるなり。今、吏士の死亡する者多し。弇、願わくは北のかた幽州に帰り、益々精兵を発して、以て大計を集めん」と。世祖大いに悦ぶ。弇、上谷に帰り、韋順等を斬る。〉世祖、辞して徴に就かず、苗魯等を斬る。是れ自り始めて更始に貳す。
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『長短経』覇図赤眉の賊、函関に入り、更始を攻む。世祖、鄧禹を遣わして兵を引きて西し、以て更始・赤眉の乱に乗ぜしむ。〈赤眉の賊樊崇、劉盆子を立てて天子と為し、長安に入り、更始を殺し、関中を寇掠す。〉是に於て諸将、尊号を上る。乃ち有司に命じて壇を鄗南の千秋亭五成陌に設けしめ、皇帝の位に即く。〈諸将、上奏して曰く「漢、王莽に遭い、宗廟廃絶し、豪傑憤怒し、兆人塗炭たり。王と伯升と、首めに義兵を挙ぐ。更始、其の資に因りて以て帝位に拠るも、大統を奉承する能わず、而して綱紀を敗乱し、盗賊日に多く、群生危蹙たり。大王、初め昆陽を征して、王莽自ら潰え、後に邯鄲を抜きて、北州弭定し、天下を三分して其の二を有つ。州に跨がり土に拠り、帯甲百万。武力を言えば則ち之に敢えて抗する莫く、文徳を論ずれば則ち与に辞する所無し。臣聞く、帝王は以て久しく曠しくす可からず、天下は以て謙拒す可からず、と。唯だ大王、社稷を以て計と為し、万姓を以て心と為せ」と。又た彊華、関中より赤伏符を奉じて曰く「劉秀、兵を発して不道を捕らう。四夷雲のごとく聚まり龍、野に闘う。四七の際、火、主と為る」と。然る後に皇帝の位に即く。〉
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『長短経』覇図十月、駕、東のかた洛陽に幸す。赤眉降る。〈大司徒鄧禹・馮異・劉弘等、赤眉を征す。異曰く「異、前に与に華陰に拒ぐこと、数十日を経たり。屢しば雄将を獲ると雖も、余衆尚お多し。稍く恩信を以て傾誘す可し。卒かに兵を用いて破り難きなり。上、今、諸将をして澠池に屯して、其の東を要せしめ、異、兵を以て其の西を撃たば、一挙にして之を取らん。此れ万成の計なり」と。禹・弘、従わず。遂に大いに戦う。赤眉、佯り敗れ、輜重を棄てて走る。車は皆な土を載せ、豆を以て其の上を覆う。兵士、飢えて、争いて之を取る。赤眉、引き還して弘等を撃つ。弘等の軍、潰乱す。異と禹と之を救う。赤眉、小しく却く。異、壁に帰り、期を約して会戦す。異、壮士をして服色を変じて赤眉と同じくせしめ、道の側に伏せしむ。旦日、赤眉、万人をして異の前部を攻めしむ。異、裁かに兵を出だして之を救う。賊、勢いの弱きを見て、遂に衆を悉くして異を攻む。異、兵を縦ちて大いに戦う。日昃き、賊の気衰う。伏兵、卒かに起こり、衣服相い乱る。赤眉、復た識らず、遂に驚き潰ゆ。赤眉の君臣、面縛して皇帝の璽綬を奉じて世祖に降る。〉隗囂を平らげ、公孫述を滅ぼし、天下大いに定まる。南宮に崩ず。時に年六十三。〈世祖の初め兵を起こすや、時に年二十八。〉
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『長短経』覇図世祖光武皇帝、諱は秀、字は文叔、南陽蔡陽の人なり。高皇帝の九代の孫なり。王莽の末、天下、連歳災蝗あり、寇盗蜂起す。〈莽の末、南方饑饉あり。人民、群れて野沢に入り、鳧茈を掘りて食らい、更々相い侵奪す。新市の人王匡、為に争訟を平理す。遂に推されて渠帥と為る。〉時に世祖、吏を新野に避け、因りて穀を宛に売る。宛の人李通、図讖を以て世祖に説く。〈通の父守、讖記を好む。通、素より守の説きて云うを聞く「劉氏復興し、李氏輔と為らん」と。私かに嘗て之を懐く。下江・新市の兵の起こるに及び、通の弟軼、乃ち共に計議して曰く「今、四方擾乱し、新室且に亡びんとす。漢、当に更に興るべし。南陽の宗室、独り劉伯升兄弟のみ汎く愛し衆を容る。与に大事を謀る可し」と。通曰く「吾が意なり」と。会々世祖、事を避けて宛に在り。通、之を聞き、即ち軼を遣わして世祖を迎えしむ。遂に相い約結す。
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『長短経』覇図三輔の豪傑、共に王莽を誅し、首を伝えて宛に詣る。更始、世祖を以て大司馬の事を行わしめ、節を持して北のかた河を渡り、州郡を鎮慰せしむ。〈鄧禹、策を杖つきて北のかた河を渡り、世祖を追う。世祖、禹を見て甚だ歓び、謂いて曰く「我、専ら封拝するを得たり。先生遠く来たる。寧ろ仕えんと欲するか」と。禹曰く「願わざるなり。明公の威徳、四海に加わる。禹、其の尺寸を効し、功名を竹帛に垂れんことを得んのみ」と。世祖笑い、因りて禹を留宿せしむ。進みて説きて曰く「更始、関西に都すと雖も、今、山東未だ安からず。赤眉・青犢の属、動もすれば万を以て数え、三輔に号を仮る者、往往にして群聚す。更始、既に未だ挫かるる所有らずして、自ら聴断せず。諸将は皆な庸人の崛起なり。志は財帛に在り、争いて威力を用い、朝夕自ら快くするのみ。忠良明智にして、深く慮り遠く図り、主を尊び民を安んぜんと欲する者有るに非ざるなり。四方分崩離析し、形勢見る可し。明公、蕃輔の功を建つと雖も、猶お未だ成立す可からざるを恐る。今の計に於ては、英雄を延覧し、務めて人心を悦ばしめ、高祖の業を立て、万人の命を救うを知るに如くは莫し。公を以て之を慮らば、天下定むるに足らざるなり」と。