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長短経 / 三国権

時司徒華歆、司空王朗等、與諸葛亮書、陳天命、欲使舉國稱藩亮不答書、作正議曰、「昔在項羽、起不由徳、雖䖏華夏、秉帝者之勢、卒就湯鑊、為後来戒。魏不審鑒、今次之矣。免身為幸、戒在子孫。而二三子多逞蘇張詭靡之説、奉進驩兜滔天之辭、欲以誣毁唐帝、諷解禹、稷、所謂徒懐文藻、煩勞翰墨、大雅君子所不為也。又《軍志》曰、『萬人必死、横行天下。』昔軒轅氏整卒數萬、制四方定海内、况以數十萬之衆、據正道而臨有罪、可得干擬者哉!」亮死後、魏令鄧艾伐蜀、蜀兵敗。後主用譙周筞降魏。

新字:時司徒華歆、司空王朗等、与諸葛亮書、陳天命、欲使舉国称藩亮不答書、作正議曰、「昔在項羽、起不由徳、雖䖏華夏、秉帝者之勢、卒就湯鑊、為後来戒。魏不審鑒、今次之矣。免身為幸、戒在子孫。而二三子多逞蘇張詭靡之説、奉進驩兜滔天之辞、欲以誣毀唐帝、諷解禹、稷、所謂徒懐文藻、煩労翰墨、大雅君子所不為也。又《軍志》曰、『万人必死、横行天下。』昔軒轅氏整卒数万、制四方定海内、況以数十万之衆、拠正道而臨有罪、可得干擬者哉!」亮死後、魏令鄧艾伐蜀、蜀兵敗。後主用譙周筞降魏。

書き下し

時に司徒華歆・司空王朗等、諸葛亮に書を与え、天命を陳べて、国を挙げて藩と称せしめんと欲す。亮、書に答えず、正議を作りて曰く「昔、項羽に在りては、起こるに徳に由らず。華夏に処り、帝者の勢いを秉ると雖も、卒に湯鑊に就き、後来の戒めと為る。魏は審らかに鑑みず、今之に次ぐ。身を免るるを幸いと為すも、戒めは子孫に在り。而るに二三子、多く蘇・張の詭靡の説を逞しくし、驩兜の滔天の辞を奉進し、以て唐帝を誣毀し、禹・稷を諷解せんと欲す。所謂徒に文藻を懐き、翰墨を煩労するもの、大雅の君子の為さざる所なり。又た軍志に曰く『万人必死なれば、天下に横行す』と。昔、軒轅氏は卒数万を整えて、四方を制し海内を定む。況んや数十万の衆を以て、正道に拠りて有罪に臨むをや。干擬すべけんや」と。亮死して後、魏は鄧艾をして蜀を伐たしめ、蜀兵敗る。後主、譙周の策を用いて魏に降る。

現代語訳

そのころ魏の司徒華歆・司空王朗らが諸葛亮に手紙を送り、天命を説いて、蜀を挙げて魏の藩臣になるよう勧めた。諸葛亮は返事を書かず、「正議」を著して言った。「昔、項羽は徳によって起ったのではなかった。中原にいて帝王の勢いを握っても、ついには釜ゆでの刑に就くような最期を遂げ、後世の戒めとなった。魏はこれをよく鑑みず、いまその後を追っている。自分が刑を免れても幸いというべきで、戒めは子孫に及ぶだろう。それなのに二、三の者は、蘇秦・張儀のような詭弁を振るい、驩兜のような天をも欺く言葉を差し出して、堯帝をそしり、禹や后稷のような忠臣をたぶらかそうとしている。いわゆる文才を抱いて筆と墨を無駄に使うもので、立派な君子のすることではない。また『軍志』に『一万人が必死になれば天下を横行できる』とある。昔、黄帝は数万の兵を整えて四方を制し天下を定めた。まして数十万の兵で正しい道に拠って罪ある者に臨むのだから、どうして手出しができようか」。諸葛亮の死後、魏は鄧艾に蜀を伐たせ、蜀の兵は敗れた。後主は譙周の策を用いて魏に降伏した。

解説

魏の重臣たちは、天命はすでに魏にあると手紙で降伏を勧めました。諸葛亮は返事を書かず、公開の文章で答えます。相手の天命論を詭弁と切り捨て、正しい道に拠って必死に戦う兵は、数で劣っても屈しないと宣言した。相手の土俵で議論せず、自国の兵と民に向けて語り直したのです。ところが篇は一行で、諸葛亮の死後に蜀が降伏したことを記します。気概は人に宿り、人がいなくなれば国の気概も消えました。

この章句が説くこと

三国権諸葛亮正議気概降伏天命

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