長短経 / 理乱
克己恕躬、好問力行、動以從義、不以從情、是謂‘治主’〔議曰、治主者、謂抑情割欲、〕勤事守業、不敢怠荒、動以先公、不以先私、是謂‘存主’〔議曰、存主者、謂拘法守律、〕
新字:克己恕躬、好問力行、動以従義、不以従情、是謂‘治主’〔議曰、治主者、謂抑情割欲、〕勤事守業、不敢怠荒、動以先公、不以先私、是謂‘存主’〔議曰、存主者、謂拘法守律、〕
書き下し
己に克ち躬を恕し、問を好み力め行い、動くに義に従うを以てし、情に従うを以てせず。是れを治主と謂う。〔議に曰く、治主とは、情を抑え欲を割くを謂う。〕事に勤め業を守り、敢えて怠荒せず、動くに公を先にするを以てし、私を先にするを以てせず。是れを存主と謂う。〔議に曰く、存主とは、法に拘り律を守るを謂う。〕
現代語訳
自分に克ち身を省み、問うことを好み努めて行い、動くのは義に従ってであって情に従ってではない。これを治主という。〔議していう。治主とは、情を抑え欲を断つ者をいう。〕事に勤め業を守り、敢えて怠り荒むことなく、動くのは公を先にしてであって私を先にしてではない。これを存主という。〔議していう。存主とは、法に拘り律を守る者をいう。〕
解説
王主が天性なのに対し、治主と存主は努力で届く段階です。治主は情を抑えて義に従う。存主は法を守って公を先にする。二つの違いは、自分で義を判断できるかどうかにあります。存主は決められた規則を守るところまで。治主は規則のない場面でも義で判断できる。多くの管理職は存主で、そこから治主へ上がれるかが分かれ目です。
この章句が説くこと
理乱六主治主存主克己法
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