長短経 / 定名
収暴虐之吏、殺無罪之人、非以法度、謂之賊〔《莊子》曰、析交離親、謂之賊。孫卿曰、不恤君之榮辱、不恤國之臧否、偷合茍容、以持禄養交、國之賊也。〕賢人不至、謂之蔽。忠臣不至、謂之塞。色取仁而實違之、謂之虚。不以誠待其臣、而望其臣以誠事已謂之愚。分於道、謂之性〔分謂始得為人。〕形于一、謂之命〔受隂陽剛柔之性、故曰、形於一也。〕凡人函五常之性、而剛柔、緩急、音聲不同、繫水土之氣、謂之風。好惡、取舎動静無常、隨君上之情欲、謂之俗。”或曰、“樂與音同乎?
新字:収暴虐之吏、殺無罪之人、非以法度、謂之賊〔《荘子》曰、析交離親、謂之賊。孫卿曰、不恤君之栄辱、不恤国之臧否、偸合苟容、以持禄養交、国之賊也。〕賢人不至、謂之蔽。忠臣不至、謂之塞。色取仁而実違之、謂之虚。不以誠待其臣、而望其臣以誠事已謂之愚。分於道、謂之性〔分謂始得為人。〕形于一、謂之命〔受陰陽剛柔之性、故曰、形於一也。〕凡人函五常之性、而剛柔、緩急、音声不同、繋水土之気、謂之風。好悪、取舎動静無常、随君上之情欲、謂之俗。”或曰、“楽与音同乎?
書き下し
暴虐の吏を収め、無罪の人を殺し、法度を以てせざる、之を賊と謂う〔荘子に曰く、交わりを析き親を離す、之を賊と謂う。孫卿曰く、君の栄辱を恤えず、国の臧否を恤えず、偸合苟容して、以て禄を持し交わりを養うは、国の賊なり〕。賢人至らざる、之を蔽と謂う。忠臣至らざる、之を塞と謂う。色は仁を取りて実は之に違う、之を虚と謂う。誠を以て其の臣を待たずして、其の臣の誠を以て己に事うるを望む、之を愚と謂う。道に分かつ、之を性と謂う〔分は始めて人と為るを得るを謂う〕。一に形わる、之を命と謂う〔陰陽剛柔の性を受く。故に一に形わると曰うなり〕。凡そ人は五常の性を函むも、剛柔・緩急・音声同じからず、水土の気に繋がる、之を風と謂う。好悪・取捨・動静常無く、君上の情欲に随う、之を俗と謂う」と。或るひと曰く「楽と音とは同じきか」と。
現代語訳
暴虐な役人を集め、罪のない人を殺し、法によらないのを賊という〔『荘子』に、交わりを裂き親族を離すのを賊という、とある。荀子は、君主の栄辱を気にかけず、国の善し悪しを気にかけず、その場しのぎに調子を合わせて俸禄を保ち交友を養う者は国の賊だ、と言う〕。賢人が来ないのを蔽という。忠臣が来ないのを塞という。表面は仁の顔をしながら実際は背くのを虚という。自分は誠をもって臣下に接しないのに、臣下には誠をもって仕えてほしいと望むのを愚という。道から分かれて人となったものを性という〔分とは初めて人となることをいう〕。一つの体に形をとったものを命という〔陰陽剛柔の性質を受ける。だから一に形をとるという〕。人は皆五常の性を含んでいるが、剛柔、緩急、声の調子が異なり、それが水や土地の気につながっているのを風という。好き嫌いや取捨、動静が定まらず、上に立つ者の欲望に従うのを俗という」。ある人が問うた。「楽と音は同じか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
-
呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
-
論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
-
言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
-
荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
-
『武士道』第七章 至誠信實・礼に過ぐれば諂いとなる礼もし誠を欠かば諧謔となり、狂言となる。伊達政宗曰はく、『礼に過ぐれば諂ひとなる』と。又た菅公が誠の歌に、『心だに誠の道にかなひなば、祈らずとても神や守らん』とあるは、ポローニアスが、『自から已に誠なるべし。さらば人に誠無き能はず』との訓言に比するに、義はなはだ深し。子思は『中庸』に於て誠を崇め、之れに超自然力を帰し、而も殆ど其力を神明と同視す。『誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと為す』と曰ひ、且つ流麗快達の弁を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動かさずして変じ、無為にして成すと説く。其旨の深玄にして神秘の妙域に騁するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトン学説の『ロゴス』(道)に比儔せんとすることあり。