長短経 / 三国権
周瑜曰、「不然。操雖託名漢相、其實漢賊。將軍以神武之雄才、兼仗父兄之烈、割據江東、地方數千里、精兵足用、英雄樂業、尚當横行天下、為漢家除殘去穢。况操自送死、而可迎之耶?請為將軍籌之、今使北土已安、操無内憂、能曠日持乆、来争疆塲又能與我校勝負於舟檝可也、今北土既未安、馬超、韓遂尚在闗西、為操後患、且捨鞍馬、仗舟檝與吴越争衡、本非中國所長、又今盛寒、馬無藁草、驅中國士衆逺渉江湖之間、不習水土、必生疾病。此數四者、用兵之患也、而操皆冐行之。将軍擒操、冝在今日。瑜請得精兵三萬人、進住夏口。保為將軍破之。」權曰、「老賊欲廢漢自立久矣、徒忌二袁、呂布、劉表與孤耳。今數雄已滅、唯孤尚存、孤與老賊勢不兩立。君言當擊、甚與孤合、此天以君授孤也。」
新字:周瑜曰、「不然。操雖託名漢相、其実漢賊。将軍以神武之雄才、兼仗父兄之烈、割拠江東、地方数千里、精兵足用、英雄楽業、尚当横行天下、為漢家除残去穢。況操自送死、而可迎之耶?請為将軍籌之、今使北土已安、操無内憂、能曠日持久、来争疆塲又能与我校勝負於舟檝可也、今北土既未安、馬超、韓遂尚在関西、為操後患、且捨鞍馬、仗舟檝与呉越争衡、本非中国所長、又今盛寒、馬無藁草、駆中国士衆遠渉江湖之間、不習水土、必生疾病。此数四者、用兵之患也、而操皆冐行之。将軍擒操、冝在今日。瑜請得精兵三万人、進住夏口。保為将軍破之。」権曰、「老賊欲廃漢自立久矣、徒忌二袁、呂布、劉表与孤耳。今数雄已滅、唯孤尚存、孤与老賊勢不両立。君言当撃、甚与孤合、此天以君授孤也。」
書き下し
周瑜曰く「然らず。操は名を漢の相に託すと雖も、其の実は漢の賊なり。将軍は神武の雄才を以て、兼ねて父兄の烈に仗り、江東を割拠し、地は方数千里、精兵用うるに足り、英雄業を楽しむ。尚お当に天下に横行し、漢家の為に残を除き穢を去るべし。況んや操自ら死を送るに、之を迎うべけんや。請う、将軍の為に之を籌らん。今、北土をして已に安んじ、操に内憂無からしめば、能く日を曠しくし久しきを持して、来たりて疆場を争い、又た能く我と勝負を舟楫に校べんも可なり。今、北土既に未だ安んぜず、馬超・韓遂尚お関西に在りて、操の後患と為る。且つ鞍馬を捨て、舟楫に仗りて呉・越と衡を争うは、本と中国の長ずる所に非ず。又た今盛寒にして、馬に藁草無く、中国の士衆を駆りて遠く江湖の間に渉らしめ、水土に習わず、必ず疾病を生ぜん。此の数四の者は兵を用うるの患いなり。而して操皆冒して之を行う。将軍、操を擒にするは、宜しく今日に在るべし。瑜請う、精兵三万人を得て、進みて夏口に住まり、保して将軍の為に之を破らん」と。権曰く「老賊、漢を廃して自立せんと欲すること久し。徒だ二袁・呂布・劉表と孤とを忌むのみ。今、数雄已に滅び、唯だ孤のみ尚お存す。孤と老賊とは、勢い両立せず。君の当に撃つべしと言うは、甚だ孤と合う。此れ天の君を以て孤に授くるなり」と。
現代語訳
周瑜は言った。「そうではありません。曹操は漢の丞相の名を借りていても、実は漢の賊です。将軍は神のような武勇と雄才を持ち、父と兄の功業も頼みにでき、江東を押さえて数千里四方の地を持ち、精兵は十分で、英雄たちは喜んで働いています。むしろ天下を横行して、漢のために残虐な者と汚れを除くべきです。まして曹操が自ら死にに来るのに、迎え入れてよいものでしょうか。将軍のために計ってみましょう。もし北の地がすでに安定し、曹操に国内の憂いがないなら、何日でも長く対峙して国境を争い、舟の上で我々と勝負を競うこともできるでしょう。しかしいま北はまだ安定せず、馬超・韓遂が関西にいて曹操の背後の憂いとなっています。しかも馬を捨てて舟に頼り、呉・越と争うのは、もともと中原の人の得意ではありません。さらにいまは厳寒で馬の飼い葉もなく、中原の兵を遠く川や湖の間に駆り立てれば、水にも風土にも慣れず、必ず病が出ます。この四つはどれも兵を用いるうえでの禁物なのに、曹操はすべて冒して行っています。将軍が曹操を捕らえるのは、まさに今です。私に精兵三万をください。夏口に進んで駐屯し、必ず将軍のために破ってみせます」。孫権は言った。「あの老いぼれの賊は、漢を廃して自ら立とうとして久しい。ただ袁紹・袁術・呂布・劉表と私を恐れていただけだ。いま群雄はすでに滅び、私だけが残っている。私と老賊は両立できない。君が撃つべきだと言うのは、私の考えとぴったり合う。これは天が君を私に授けたのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権亮曰く「豫州の軍、長坂に敗るると雖も、今、戦士の還る者及び関羽の将いる所の精甲万人、劉琦の江夏の戦士を合わすも亦た万人を下らず。曹操の衆は、遠来して疲弊す。聞く、豫州を追うに、騎は一日一夜に三百里を行く、と。此れ所謂強弩の末、魯縞を穿つこと能わざる者なり。故に兵法に之を忌みて曰く『必ず上将軍を蹶す』と。且つ北方の人は水戦に習わず。又た荊州の人の操に附く者は、兵勢に逼らるるのみにして、心服するに非ざるなり。今、将軍誠に猛将に命じて兵数万を統べしめ、豫州と規を協わせ力を同じくせば、操の軍を破ること必せり。操の軍破れなば、必ず北に還らん。此くの如くんば則ち荊・呉の勢い強く、鼎足の形成らん。成敗の機、今日に在り」と。権大いに悦び、即ち周瑜・魯粛を遣わし、亮に随いて先主に詣り、力を并せて曹公を拒ぐなり。〕
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『長短経』三国権操、其の水軍の船・歩卒数十万を得。呉の将士之を聞き、皆恐る。孫権、群下を延見し、問うに計策を以てす。議する者咸な曰く「曹公は豺虎なり。名を漢の相に託し、天子を挟みて以て四方を征し、動もすれば朝廷を以て辞と為す。今日之を拒げば、事更に順ならず。且つ将軍の大勢の以て操を距ぐべき者は、長江なり。今、操は荊州を得て、奄く其の地を有す。劉表の治めし水軍、蒙衝闘艦は乃ち千を以て数う。操悉く浮かべて以て江に沿い、兼ねて歩兵有りて、水陸俱に下る。此れ長江の険、已に我と之を共にするなり。而して勢力の衆寡も又た論ずべからず。愚謂えらく、大計は之を迎うるに如かず」と。
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『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。
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『長短経』三国権曹公敗れ、径ちに北に還る。権遂に江表に虎視す。〔時に劉璋、益州牧たり、外に張魯の寇侵有り。瑜乃ち京に詣りて権に見えて曰く「今、曹操は新たに衄れ、方に腹心を憂え、未だ能く将軍と兵を連ねて相事とせず。乞う、奮威と俱に進みて蜀を取り、蜀を得て張魯を并せ、奮威を留めて其の地を固守せしめ、好んで馬超と援を結ばん。瑜は将軍と襄陽に拠りて以て操を蹙めば、北方図るべきなり」と。権之を許す。会々瑜卒し、果たさず。〕
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『長短経』三国権備、亮の計を用い、好を孫権に結び、共に曹公を赤壁に拒ぎ、之を破る。曹公北に還り、権乃ち荊州を以て備に業とす。〔周瑜上疏して諫めて曰く「劉備は梟雄の姿を以てし、而して関羽・張飛は熊虎の将なり。必ず久しく屈して人の用を為す者に非ず。愚謂えらく、大計は宜しく備を徙して呉に置き、盛んに為に室を築き、其の美女玩好の物を多くして、以て其の耳目を娯しましむべし。此の二人を分かちて、各々一方に置き、瑜の如き者をして、挟みて与に攻戦するを得しめば、大事定むべきなり。今、猥りに土地を割きて、以て之に資業し、此の三人を聚めて俱に疆場に在らしむ。恐らくは蛟龍雲雨を得ば、復た池中の物に非ざらん」と。権は曹公北方に在るを以て、当に広く英雄を攬るべしとし、故に納れざるなり。〕
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『長短経』三国権策死し、弟の権、其の衆を領す。〔時に呉は江南を割拠し、交・広を席巻するなり。〕属々曹公、袁紹を破り、兵威日に盛んなり。乃ち書を下して孫権を責め、質を求む。張昭等会議して決せず。権乃ち独り周瑜を将いて、其の母の前に詣りて議を定む。瑜曰く「昔、楚国初めて荊山の側に封ぜらるるや、百里の地に満たず。継嗣賢能にして、土を広め境を開き、基を郢に立て、遂に荊・揚に拠り、南海に至り、業を伝え祚を延ぶること九百余年。今、将軍は父兄の余資に乗じ、六郡の衆を兼ね、兵精しく糧多く、将士命を用う。山を鋳て銅と為し、海を煮て塩と為し、境内富饒にして、人乱を思わず。舟を汎べ帆を挙ぐれば、朝に発して夕べに到り、土風勁勇にして、向かう所前無し。何の逼迫有りて質を送らんと欲するや。質子一たび入らば、曹氏と与せざるを得ず。曹氏命じて召さば、往かざるを得ず。便ち人に制せらるるなり。