長短経 / 卑政
〔議曰、昔楚之公輸、宋之墨翟、能使木䳒自飛、無益于用。漢之張衡、能使參輪自轉、魏之馬鈞、能能使木人吹簫、茍無益于用而為之、則費功損力、其害多矣。荘子》曰、「朱汗漫學屠龍于支離益、殫千金、伎成無所用其巧。」《文子》曰、「夫治國在仁義禮樂、名法刑賞、過此而徃、雖彌綸天地、纒絡萬品、治道之外、非羣生所飧挹、聖人措而不言也。」由是觀之、事在于適時、無貴于逺功、有自來矣。〕
新字:〔議曰、昔楚之公輸、宋之墨翟、能使木䳒自飛、無益于用。漢之張衡、能使参輪自転、魏之馬鈞、能能使木人吹簫、苟無益于用而為之、則費功損力、其害多矣。荘子》曰、「朱汗漫学屠竜于支離益、殫千金、伎成無所用其巧。」《文子》曰、「夫治国在仁義礼楽、名法刑賞、過此而往、雖弥綸天地、纒絡万品、治道之外、非羣生所飧挹、聖人措而不言也。」由是観之、事在于適時、無貴于遠功、有自来矣。〕
書き下し
〔議に曰く、昔、楚の公輸、宋の墨翟は、能く木鵲をして自ら飛ばしむるも、用に益無し。漢の張衡は、能く参輪をして自ら転ぜしむ。魏の馬鈞は、能く木人をして簫を吹かしむ。苟も用に益無くして之を為せば、則ち功を費やし力を損い、其の害多し。荘子に曰く「朱泙漫、龍を屠ることを支離益に学び、千金を殫くし、伎成るも其の巧を用うる所無し」と。文子に曰く「夫れ国を治むるは仁義礼楽・名法刑賞に在り。此を過ぎて往けば、天地を弥綸し、万品を纏絡すと雖も、治道の外にして、群生の飧挹する所に非ず。聖人措きて言わず」と。是に由りて之を観れば、事は時に適うに在りて、遠功を貴ぶ無きこと、自りて来たる有り。〕
現代語訳
〔論じて言う。昔、楚の公輸般や宋の墨子は木の鵲を自ら飛ばすことができたが、実用には役立たなかった。漢の張衡は三つの車輪を自ら回すことができ、魏の馬鈞は木の人形に簫を吹かせることができた。もし役に立たないのにそれを作れば、手間を費やし力を損ない、その害は多い。『荘子』に言う。「朱泙漫は支離益から竜を屠る術を学び、千金を使い果たして技を身につけたが、その巧みさを使う場所がなかった」。『文子』に言う。「国を治めることは、仁義・礼楽・名法・刑賞にある。これを越えて行けば、天地を包み万物を結びつけるほどであっても、治める道の外であり、民衆が口にし汲み取れるものではない。聖人はそれを置いて語らない」。これで見れば、物事は時に適うことが大切で、遠く実用から離れた功を尊ばないのには、理由がある。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』卑政故に聖人は道に任じて、以て其の険を通ず。〔淮南子に曰く「道を体する者は逸にして窮せず、数に任ずる者は労して功無し。離朱の明は、鍼を百歩の外に察するも、泉中の魚を見ること能わず。師曠の聡は、八風の調を合わするも、十里の外を聴くこと能わず。故に一人の能に任ずれば、以て三畝の宅を理むるに足らず。道理の数に循い、天地の自然に因れば、則ち六合も均しくするに足らざるなり」と。此れ道に任じて以て其の険を通ずるなり。〕
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『長短経』卑政淮南子に曰く「溺人を済うに金玉を以てするは、尋常の纆に如かず」と。韓子曰く「百日食わずして、以て粱肉を待つは、餓者肯んぜず」と。〔故に曰く、飢を療するは鼎食を期せず、溺を拯うは規行を待つ無し、と。〕此れ政は卑きを貴びて以て事を済すを言う者なり。何を以て之を言う。韓非曰く「所謂知者の微妙の言は、上知の難しとする所なり。今、衆人の法と為して、上知の難しとする所を以てせば、則ち人従りて識る無し。故に糟糠に厭かざる者は、粱肉を待たずして飽き、短褐完からざる者は、文繡を須たずして好む。是を以て之を言えば、夫れ世を治むるの事は、急なる者得ざれば、則ち緩なる者は務めに非ざるなり。今、治むる所の政は、人間の事なり。夫婦の明らかに知る所の者を用いずして、上知の論じ難き所を慕わば、則ち其の人に於けるや過ぎて遠し。是に知る、微妙の言は、人の務めに非ざるなり」と。
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『長短経』卑政故に尹文子に曰く「凡そ理有りて治に益無き者は、君子言わず。能有りて事に益無き者は、君子為さず」と。故に君子の言う所の者は、名法・権術を出でず。為す所の者は、農稼・軍陣を出でず。周く務むるのみ。〔故に曰く、小人の言う所の者は、儒墨是非の弁を極め、為す所の者は、堅偽偏執の行いを極む。名を求むるのみ。故に明主は之を誅するなり。〕今の世の人は、行いは独り賢ならんことを欲し、事は独り能くせんことを欲し、弁は群を出でんことを欲し、勇は衆を絶せんことを欲す。夫れ独行の賢は、以て化を成すに足らず。独能の事は、以て務めを周くするに足らず。群を出づるの弁は、戸ごとに説くべからず。衆を絶するの勇は、与に陣を征すべからず。凡そ此の四者は、乱の由りて生ずる所なり。
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『墨子』魯問公輸子、竹木を削りて以て䧿を為る。成りて之を飛ばすに、三日下らず。公輸子、自ら以て至巧と為す。子墨子、公輸子に謂いて曰く、「子の䧿を為るや、翟の車轄を為るに如かず。須㬰にして三寸の木を留めて、五十石の重きに任う。故に為す所の巧は、人に利するを之れ巧と謂い、人に利せざるを之れ拙と謂う」と。
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『長短経』卑政〔故に曰く、善を為す者は、人をして縦うを得ること能わざらしめ、巧を為す者は、人をして為すを得ること能わざらしむ。此れ独善・独巧なる者なり。未だ巧善の理を尽くさず。故に聖人の理を貴ぶ所は、其の独り治むるを貴ばず、其の能く衆と共に治むるを貴ぶなり。工倕の巧を貴ぶ所の者は、其の独り巧なるを貴ばず、其の能く衆と共に巧なるを貴ぶなり。文子に曰く「夫れ先知遠見は、人材の盛んなるなり。而るに治世は以て人に貴ばず。博聞強志、口弁辞給は、人智の溢るるなり。而るに明主は以て下に求めず。世に傲り物を賤しみ、俗に汚れざるは、士の抗行なり。而るに治世は以て人の化と為さず。故に高くして及ぶべからざる者は、以て人の量と為さず。行いて逮ぶべからざる者は、以て国の俗と為さず。故に国の治は愚と守るべく、軍旅は怯と同じくすべし。古の英俊を待たずして人自ら足る者は、其の有る所に因りて並びに之を用うればなり」と。議に曰く、文子の此の言に拠れば、以為えらく聖人は先知遠見・博聞強志・傲世賤物の三事を用いて、天下の百姓を化し、皆此の道を行わしめて、用て規俗と為すべからず。今但だ其の風土に任せ、化するに農稼・軍陣を以てし、曲げて物を成し、俯して俗に同じくするのみ。独能・独勇なる者を貴ぶに非ざるなり。〕
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『淮南子』齊俗訓夫れ先知遠見、達視千里なるは、人才の隆なり。而れども治世は以て民に責めず。博聞強志、口辯辭給なるは、人智の美なり。而れども明主は以て下に求めず。世に敖り物を輕んじ、俗に汙れざるは、士の伉行なり。而れども治世は以て民の化と為さず。神機陰閉、剞劂 跡無きは、人巧の妙なり。而れども治世は以て民の業と為さず。故に萇弘・師曠は、先に禍福を知り、言に遺策無きも、而も與に眾と職を同じくす可からざるなり。公孫龍は辯を折り辭を抗げ、同異を別ち、堅白を離すも、與に眾と道を同じくす可からざるなり。北人無擇は舜を非として自ら清泠の淵に投ず。以て世の儀と為す可からず。魯般・墨子は木を以て鳶と為して之を飛ばし、三日 集まらざるも、而も工と為さしむ可からざるなり。