長短経 / 覇図
侯景立武帝太子綱為帝、又為景所殺〔追尊為太宗簡文皇帝也。〕湘東王繹於荆州、使王僧辯等平侯景、傳首江陵〔僧辯等勸進曰、軍衆以今月戊子總集建康、分勒武旅、百道同趨、轟然大潰、羣兇四滅。伏惟陛下、咀痛茹哀嬰憤忍酷。自紫庭綘闕、胡塵四起、掖垣好畤、冀馬雲豺狼當路、非止一人、鯨鯢不梟、經五載矣。天威既振、寃耻並雪、百司岳牧、仰祈宸鑒。咸以錫珪之功。既歸有道、當璧之禮、允屬聖明。而優詔謙冲杳然凝邈、飛龍可躋、而乾爻在四、帝閽云呌而閶閤未開、謳歌再馳、是用翹首。豈可乆稽羣議、有曠彞則也。〕
新字:侯景立武帝太子綱為帝、又為景所殺〔追尊為太宗簡文皇帝也。〕湘東王繹於荆州、使王僧弁等平侯景、伝首江陵〔僧弁等勧進曰、軍衆以今月戊子総集建康、分勒武旅、百道同趨、轟然大潰、羣兇四滅。伏惟陛下、咀痛茹哀嬰憤忍酷。自紫庭綘闕、胡塵四起、掖垣好畤、冀馬雲豺狼当路、非止一人、鯨鯢不梟、経五載矣。天威既振、冤耻並雪、百司岳牧、仰祈宸鑒。咸以錫珪之功。既帰有道、当璧之礼、允属聖明。而優詔謙沖杳然凝邈、飛竜可躋、而乾爻在四、帝閽云呌而閶閤未開、謳歌再馳、是用翹首。豈可久稽羣議、有曠彞則也。〕
書き下し
侯景、武帝の太子綱を立てて帝と為す。又た景の殺す所と為る。〈追尊して太宗簡文皇帝と為すなり。〉湘東王繹、荊州に於て、王僧弁等をして侯景を平らげしめ、首を江陵に伝う。〈僧弁等、進むを勧めて曰く、軍衆、今月戊子を以て建康に総集し、武旅を分勒し、百道同に趨く。轟然として大いに潰え、群凶四つながら滅ぶ。伏して惟うに陛下、痛を咀み哀を茹らい、憤を嬰き酷を忍ぶ。紫庭絳闕より、胡塵四つながら起こり、掖垣好畤、冀馬雲のごとし。豺狼路に当たること、一人に止まらず。鯨鯢梟せられざること、五載を経たり。天威既に振るい、冤恥並びに雪ぐ。百司岳牧、仰ぎて宸鑒を祈る。咸な錫珪の功を以て、既に有道に帰す。当璧の礼、允に聖明に属す。而るに優詔謙冲にして、杳然として凝邈たり。飛龍躋る可くして、乾の爻は四に在り。帝閽云に叫びて、閶閤未だ開かず。謳歌再び馳せ、是を用て首を翹ぐ。豈に久しく群議に稽り、彝則を曠しくする有る可けんや」と。〉
現代語訳
侯景は武帝の太子綱を帝に立てた。しかしまた侯景に殺された。〈追尊して太宗簡文皇帝とした。〉湘東王繹は荊州で、王僧弁らに侯景を平らげさせ、首を江陵へ送らせた。〈王僧弁らは即位を勧めて言った。「軍は今月戊子に建康に集結し、部隊を分けて、あらゆる道から同時に進みました。轟音とともに敵は崩れ、凶徒は四方で滅びました。伏して思いますに陛下は、痛みを噛みしめ哀しみを飲み込み、憤りを抱えて過酷さに耐えてこられた。宮殿から胡の砂塵が四方に起こり、宮垣も好畤も北方の馬が雲のように満ちた。豺や狼が道を塞ぐのは一人にとどまらず、大魚が梟されないまま五年が過ぎた。いま天の威が振るい、冤罪と恥辱がともに雪がれました。百官と地方の長は、仰いで陛下のご判断を祈っています。みな圭を賜る功はすでに道ある者に帰し、璧に当たる礼はまさに聖明の方に属すると考えます。それなのに詔は謙遜で、はるかに遠く定まらない。飛ぶ龍は昇れるのに、乾の爻は四にとどまっている。帝の門に叫んでも門は開かない。歌がふたたび流れ、人々は首を伸ばしています。長く議論に留まって、常の法を空しくしてよいものでしょうか」。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図景を平らげ、湘東王、江陵に於て即位す。〈是を孝元皇帝と為す。武帝の第七子なり。〉魏、万紐于謹をして来たり攻めしむ。梁王蕭詧、衆を率いて之に会す。帝、執えられ、魏人、帝を戕う。〈初め、武陵の平らぐや、議する者、其の舟艦に因りて都を建鄴に遷さんと欲す。宗懍・黄羅漢は皆な楚人なり。移るを願わず。曰く「建鄴の王気は已に尽く。渚宮の洲は已に百に満つ」と。是に於て乃ち留まる。尋いで歳星は井に在り、熒惑は心を守る。帝、之を観て、慨然として朝臣に謂いて曰く「吾、玄象を観るに、将に恐らくは賦有らん。但だ吉凶は吾に在り、運数は天に由る。之を避けて何の益あらん」と。
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