長短経 / 三国権
〔曹操、字孟徳、少機警有權數、而任侠放蕩、不治行業、故世人未之竒也。唯喬𤣥異焉、謂曰、「天下將亂、非命世之才、不能濟也。能安之者、其君乎?」太祖為東郡太守、治東武陽、軍頓丘。黑山賊于毒等攻東武陽、太祖引兵西入山、攻毒等本屯。諸將皆以為當還自救、太祖曰、「昔孫臏救趙而攻魏、耿弇欲走西安而攻臨菑使賊聞我西而還、是武陽自觧也、不還、我能敗虜家、虜不能敗武陽、必矣!」乃行、毒聞之、棄武陽還、太祖要擊、大破之。
新字:〔曹操、字孟徳、少機警有権数、而任侠放蕩、不治行業、故世人未之奇也。唯喬玄異焉、謂曰、「天下将乱、非命世之才、不能済也。能安之者、其君乎?」太祖為東郡太守、治東武陽、軍頓丘。黒山賊于毒等攻東武陽、太祖引兵西入山、攻毒等本屯。諸将皆以為当還自救、太祖曰、「昔孫臏救趙而攻魏、耿弇欲走西安而攻臨菑使賊聞我西而還、是武陽自觧也、不還、我能敗虜家、虜不能敗武陽、必矣!」乃行、毒聞之、棄武陽還、太祖要撃、大破之。
書き下し
〔曹操、字は孟徳。少くして機警にして権数有り、而して任侠放蕩にして、行業を治めず。故に世人未だ之を奇とせず。唯だ橋玄のみ焉を異とし、謂いて曰く「天下将に乱れんとす。命世の才に非ずんば、済うこと能わざるなり。能く之を安んずる者は、其れ君か」と。太祖、東郡太守と為り、東武陽を治め、頓丘に軍す。黒山の賊于毒等、東武陽を攻む。太祖、兵を引きて西のかた山に入り、毒等の本屯を攻む。諸将皆以為えらく、当に還りて自ら救うべしと。太祖曰く「昔、孫臏は趙を救いて魏を攻め、耿弇は西安に走らんと欲して臨菑を攻む。賊をして我の西するを聞きて還らしめば、是れ武陽自ら解くるなり。還らずんば、我は能く虜の家を敗り、虜は武陽を敗ること能わざること、必せり」と。乃ち行く。毒之を聞き、武陽を棄てて還る。太祖要撃して、大いに之を破る。
現代語訳
〔曹操は字を孟徳という。若いころから機転がきき権謀に長けていたが、任侠を好んで放蕩し、身を修めなかったので、世の人は特に優れているとは思わなかった。ただ橋玄だけが並々ならぬ人物と見て言った。「天下はこれから乱れる。世に名だたる才でなければ救えない。天下を安んじられるのは、君ではないか」。曹操は東郡太守となって東武陽を治め、頓丘に陣を置いた。黒山の賊于毒らが東武陽を攻めた。曹操は兵を率いて西の山に入り、于毒らの本拠地を攻めた。諸将は皆、戻って東武陽を救うべきだと考えた。曹操は言った。「昔、孫臏は趙を救うのに魏を攻め、耿弇は西安へ向かうと見せて臨菑を攻めた。賊が我々が西へ行ったと聞いて引き返せば、東武陽の囲みは自然に解ける。引き返さなければ、我々は賊の根城を破れるが、賊は東武陽を破れないのは確かだ」。そこで進軍した。于毒はこれを聞くと東武陽を捨てて引き返し、曹操は待ち伏せて大いに破った。
解説

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