長短経 / 覇図
六月、宇文化及自江都至彭城、據黎陽、稱許。李宻率大軍、壁清淇。敦煌張守一聞宻之拒化及也、説越王以討。越王不用其䇿、用孟琮計、與宻連和。〔張守一説曰、「臣聞、鴻鵠之翮未就、冲天之情已萌、武豹之文未偹、食牛之心已成。今陛下據全周之地、背河面洛、帶甲十萬、粟支數十年、此覇王之資、非待翮成文偹之勢也。固城自守、不以濟世為心、何異夫羣蟻之嬰一穴乎?竊為陛下不取。」
新字:六月、宇文化及自江都至彭城、拠黎陽、称許。李密率大軍、壁清淇。敦煌張守一聞密之拒化及也、説越王以討。越王不用其策、用孟琮計、与密連和。〔張守一説曰、「臣聞、鴻鵠之翮未就、沖天之情已萌、武豹之文未備、食牛之心已成。今陛下拠全周之地、背河面洛、帯甲十万、粟支数十年、此覇王之資、非待翮成文備之勢也。固城自守、不以済世為心、何異夫羣蟻之嬰一穴乎?窃為陛下不取。」
書き下し
六月、宇文化及、江都より彭城に至り、黎陽に拠り、許と称す。李密、大軍を率いて、清淇に壁す。敦煌の張守一、密の化及を拒ぐを聞き、越王に説きて以て討たしめんとす。越王、其の策を用いず、孟琮の計を用い、密と連和す。〈張守一、説きて曰く「臣聞く、鴻鵠の翮、未だ就らざるに、冲天の情、已に萌し、武豹の文、未だ備わらざるに、食牛の心、已に成る、と。今、陛下、全周の地に拠り、河を背にし洛に面し、帯甲十万、粟は数十年を支う。此れ覇王の資なり。翮の成り文の備わるを待つの勢いに非ざるなり。城を固めて自ら守り、済世を以て心と為さざるは、何ぞ夫の群蟻の一穴に嬰るに異ならんや。竊かに陛下の為に取らず」と。
現代語訳
六月、宇文化及は江都から彭城に至り、黎陽に拠って許と称した。李密は大軍を率いて清淇に塁を築いた。敦煌の張守一は李密が宇文化及を防いでいると聞き、越王に説いて討たせようとした。越王はその策を用いず、孟琮の計を用いて李密と和を結んだ。〈張守一は説いた。「臣が聞くところでは、大鳥の羽根がまだできないうちに天を衝く心がすでに芽生え、豹の斑紋がまだ備わらないうちに牛を食う心がすでにできている、といいます。いま陛下は周の全土に拠り、黄河を背にし洛水に面し、兵は十万、穀物は数十年を支えられる。これは覇王の資です。羽根ができ斑紋が備わるのを待つような状態ではない。城を固めて自ら守るだけで、世を救うことを心にしないのは、蟻の群れが一つの穴にしがみついているのと何が違いましょう。ひそかに陛下のためによしといたしません」。
解説

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『政談』金銀錢員數減少する仔細の事偖銭を夥く鋳出たさんには、当時長崎の金高つまりて銅を異国へくたさるゝことなれは、銅払底にて差支あるへし、総体銅の払底になりたるに仔細あり、此の三四十年このかた御城下は勿論、田舎の末々まて小寺小院にも鐘を鋳さるはなし、六十余州を詮識ぜは莫大の銅なるへし、小さき仏像其の数も夥しくなりたり、仏像も余りに夥しくなれは信仰は次第に薄くなることなれは、仏法のためにも宜しからさることなり、特に鐘の功徳と云ふは人の眠りを醒し、六時勤行の時を教へ、十二時の移り行くを知らせて無常を観するたよりとし、又大叢林にては峰々谷々の衆僧を呼集むる用事の為に鐘をつることなり、然るに鐘楼もなき小寺小院のつく人さへもなきに、旦那を勧進して鐘を楼下につり置きたるは何のため成るぞや、つかぬ鐘に声なし、声なくて功徳のあるへきやうなし、真に無用のものなり、
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