長短経 / 適変
夫冬日之陽、夏日之隂、萬物歸之、而莫之使。至精之感、弗召自來。待目而昭見、待言而使令、其於理難矣。〔《文子》曰、「三月嬰兒、未知利害、而慈母之憂喻焉者、情也。」故曰、言之用者小、不言之用者大。又曰、不言而信、不施而仁、不怒而威、是以天心動化者也。施而仁、言而信、怒而威、是以精誠為之者也。施而不仁、言而不信、怒而不威、是以外貌為之也。〕
新字:夫冬日之陽、夏日之陰、万物帰之、而莫之使。至精之感、弗召自来。待目而昭見、待言而使令、其於理難矣。〔《文子》曰、「三月嬰児、未知利害、而慈母之憂喩焉者、情也。」故曰、言之用者小、不言之用者大。又曰、不言而信、不施而仁、不怒而威、是以天心動化者也。施而仁、言而信、怒而威、是以精誠為之者也。施而不仁、言而不信、怒而不威、是以外貌為之也。〕
書き下し
夫れ冬日の陽、夏日の陰は、万物之に帰するも、之をして使むる莫し。至精の感は、召さずして自ら来たる。目を待ちて昭らかに見、言を待ちて令せしむるは、其の理むるに於て難し。〈文子に曰く「三月の嬰児は、未だ利害を知らざるに、慈母の憂え之に喩るは、情なり」と。故に曰く、言の用は小にして、言わざるの用は大なり、と。又た曰く、言わずして信ぜられ、施さずして仁、怒らずして威あるは、是れ天心を以て動化する者なり。施して仁、言いて信、怒りて威あるは、是れ精誠を以て之を為す者なり。施して仁ならず、言いて信ぜられず、怒りて威あらざるは、是れ外貌を以て之を為す者なり、と。〉
現代語訳
冬の日なたと夏の日陰には、あらゆるものが集まってくるが、そうさせている者はいない。きわめて純粋な感応は、呼ばなくても自分から来る。目で見てはじめて分かり、言葉にしてはじめて命令が届くようでは、治めるのは難しい。〈文子にこうある。「生後三か月の嬰児はまだ利害を知らないのに、慈母の心配が伝わるのは、情のはたらきである」。だからこう言う。言葉のはたらきは小さく、言わないことのはたらきは大きい、と。またこう言う。言わずに信じられ、施さずに仁があり、怒らずに威があるのは、天の心で人を動かす者である。施して仁があり、言って信じられ、怒って威があるのは、まごころで行う者である。施しても仁とされず、言っても信じられず、怒っても威がないのは、うわべで行う者である。〉
解説
この章句が説くこと
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