長短経 / 是非
唐且曰、“專諸懐錐刀而天下皆謂之勇、西施被短褐而天下稱美。”〔非曰〕慎子曰、“毛嬙、西施、天下之至姣也、衣之以皮具則見者皆走、易之以𤣥緆、則行者皆止。由是觀之、則𤣥緆、色之助也。姣者辭之、則色厭矣。”〔是曰〕
新字:唐且曰、“専諸懐錐刀而天下皆謂之勇、西施被短褐而天下称美。”〔非曰〕慎子曰、“毛嬙、西施、天下之至姣也、衣之以皮具則見者皆走、易之以玄緆、則行者皆止。由是観之、則玄緆、色之助也。姣者辞之、則色厭矣。”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕唐且曰く「専諸は錐刀を懐きて天下皆な之を勇と謂い、西施は短褐を被て天下美と称す」と。〔非に曰く〕慎子曰く「毛嬙・西施は天下の至姣なり。之に衣するに皮具を以てすれば則ち見る者皆な走る。之を易うるに玄緆を以てすれば、則ち行く者皆な止まる。是に由りて之を観れば、則ち玄緆は色の助けなり。姣なる者之を辞すれば、則ち色厭かん」と。
現代語訳
〔是の側。〕唐且はこう言った。「専諸は小刀を懐に入れただけで天下はみな勇者と呼び、西施は粗末な衣を着ても天下は美人と称えた」。〔非の側。〕慎子はこう言った。「毛嬙と西施は天下一の美人である。彼女たちに獣の皮を着せれば、見る者はみな逃げる。上等な黒い麻布に替えれば、通る者はみな立ち止まる。ここから見れば、上等な布は美しさの助けである。美人がそれを断れば、美しさは飽きられる」。
解説
中身があれば見た目は要らない、という側と、見た目は中身を助ける、という側。慎子の観察が現実的です。天下一の美人でも、着せるものによって人は逃げも止まりもする。中身で勝負すると言う人ほど、この実験結果を無視しがちです。見た目を整えることは中身を偽ることではなく、中身が伝わる条件を作ることだ、という読み方もできます。
この章句が説くこと
是非専諸西施慎子見た目中身
関連する章句
-
『長短経』是非文子曰く「人の上に化するは、其の言に従わず、其の行いに従うなり。故に人君、勇を好めば、而ち国家に難多く、人君、色を好めば、而ち国家昏乱す」と。〔非に曰く〕秦王曰く「吾聞く、楚の鉄剣は利くして倡優は拙なり、と。夫れ鉄剣利ければ則ち士勇み、倡優拙ければ則ち思慮遠し。遠き思慮を以て勇士を御せば、吾、楚の秦を図らんことを恐る」と。
-
『淮南子』脩務訓今 夫れ毛嬙・西施は、天下の美人なり。若し之をして腐鼠を銜み、蝟皮を蒙り、豹裘を衣、死蛇を帶びしめば、則ち布衣韋帶の人 過ぐる者、左右に睥睨して鼻を掩わざる莫し。嘗試みに之をして芳澤を施し、娥眉を正し、笄珥を設け、阿錫を衣、齊紈を曳き、粉白黛黑し、玉環を佩び、揄步して、芝若を雜え、籠蒙として目視し、冶由として笑い、目 流眺し、口 曾撓し、奇牙 出で、𩉇酺 搖がしめば、則ち王公大人、嚴志頡頏の行有る者と雖も、憚悇癢心して其の色を悅ばざる無からん。今 中人の才を以て、愚惑の智を蒙り、污辱の行を被り、本業の修むる所、方術の務むる所無くんば、焉んぞ睥面掩鼻の容有る無きを得んや。
-
『長短経』是非〔是に曰く〕越絶書に曰く「女を衒うは貞ならず、士を衒うは信ならず」と。〔非に曰く〕漢書に曰く「大行は細謹せず、大礼は辞を譲らず」と。〔是に曰く〕黄石公曰く「地を広むるを務むる者は荒れ、徳を広むるを務むる者は強し。其の有を有つ者は安く、人の有を貪る者は残なり。残滅の政は、成ると雖も必ず敗る」と。〔非に曰く〕司馬錯曰く「国を富まさんと欲する者は、務めて其の地を広くす。兵を強くせんと欲する者は、務めて其の人を富ます。王たらんと欲する者は、務めて其の徳を博くす。三資備わりて、而る後に王業之に随う」と。
-
『長短経』是非〔是に曰く〕韓子曰く「古の人は、目は自ら見るに短し。故に鏡を以て面を観る。智は自ら知るに疑わし。故に道を以て己を正す」と。〔非に曰く〕老子曰く「反聴するを之を聡と謂い、内視するを之を明と謂い、自ら勝つを之を強と謂う」と。
-
『長短経』是非〔非に曰く〕人物志に曰く「君子は自ら損するの益たるを知る。故に功一にして美二なり。小人は自ら益するの損たるを知らず。故に伐ること一にして並びに失う。此に由りて之を観れば、則ち伐らざる者は之を伐つなり、争わざる者は之を争うなり、敵に譲る者は之に勝つなり。是の故に、卻至は人に上たりて、抑えらるること下ること滋いよ甚だし。王叔は争いを好みて、出奔に終わる。藺相如は車を迴らすを以て廉頗に勝を取り、寇恂は闘わざるを以て賈復に賢を取る。物勢の反は、乃ち君子の所謂道なり」と。
-
『長短経』是非語に曰く「巧詐は拙誠に如かず」と。〔非に曰く〕晋の恵帝、太子と為る。和嶠、武帝を諫めて曰く「季世は偽り多くして、太子は尚お信ず。四海の主に非ず。憂うらくは陛下の家事を了えざらん」と。武帝従わず。後に恵帝果たして敗る。