長短経 / 是非
《傳》曰、“心茍無瑕、何恤乎無家?”《語》曰、“禮義之不僭何恤乎人言?”〔非曰〕《語》曰、“積毁銷金、積讒磨骨、衆羽溺舟、羣輕折軸。”〔是曰〕
新字:《伝》曰、“心苟無瑕、何恤乎無家?”《語》曰、“礼義之不僭何恤乎人言?”〔非曰〕《語》曰、“積毀銷金、積讒磨骨、衆羽溺舟、羣軽折軸。”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕伝に曰く「心苟しくも瑕無くんば、何ぞ家無きを恤えんや」と。語に曰く「礼義の僭せずんば、何ぞ人言を恤えんや」と。〔非に曰く〕語に曰く「積毀は金を銷かし、積讒は骨を磨く。衆羽は舟を溺らせ、群軽は軸を折る」と。
現代語訳
〔是の側。〕左伝にこうある。「心にやましいところがなければ、家がないことを何で心配しよう」。論語にこうある。「礼と義に違いがなければ、人の言うことを何で心配しよう」。〔非の側。〕ある書物にこうある。「積もった悪口は金属を溶かし、積もった讒言は骨を削る。多くの羽根が舟を沈め、軽いものが集まって車軸を折る」。
解説
やましくなければ人の言葉を気にするな、という教えと、積もった悪口は金属さえ溶かす、という警告が並びます。羽根が舟を沈めるという比喩がよい。一枚ずつは軽くても、積もれば沈む。自分に非がないから大丈夫だ、という構えが通用しない場面があることを示しています。どちらの言葉も正しく、どちらを採るかは量の問題です。
この章句が説くこと
是非積毀銷金心に瑕なし評判羽が舟を沈める量
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