長短経 / 覇図
至仁夀四年、終於洛陽〔先是、蔣山衆鳥鼔翼撫膺曰、「奈何帝、奈何帝。」後主在東宫時、有鳥一足、集其殿庭、以觜畫地成文。曰、「獨足上高臺、盛草化為灰、欲知吾家處、朱闗當水開。」觧者以為「獨足」言後主獨行無衆、「盛草」言荒穢。隋承火運、得火而灰。及至京師、家於都水臺、所謂「高臺當水」也。有㑹稽人史溥曾夣着朱衣人、武冠自天而下、以手執金牌、溥徃看、上文曰、「陳氏五主、三十四年。」陳亡、果如夢。梁末童謡曰「可憐巴馬子、一日行千里、不見馬上郎、但見黄塵起、黄塵汚人衣、皂莢相料理僧辯滅、羣臣以謡言奏、言僧辯本乗巴馬擊侯景。「馬上郎」、王字也、「塵」謂陳也、而不觧「皂莢」之謂。既而陳滅於隋、説者以為江東以羯羊角為皂莢、隋氏姓楊、楊、羊也。言終滅於隋。北齊末、諸省官多稱省主、主將見省也。則興亡之兆、盡有徵云。〕
新字:至仁寿四年、終於洛陽〔先是、蔣山衆鳥鼓翼撫膺曰、「奈何帝、奈何帝。」後主在東宮時、有鳥一足、集其殿庭、以觜画地成文。曰、「独足上高台、盛草化為灰、欲知吾家処、朱関当水開。」觧者以為「独足」言後主独行無衆、「盛草」言荒穢。隋承火運、得火而灰。及至京師、家於都水台、所謂「高台当水」也。有会稽人史溥曽夣着朱衣人、武冠自天而下、以手執金牌、溥往看、上文曰、「陳氏五主、三十四年。」陳亡、果如夢。梁末童謡曰「可憐巴馬子、一日行千里、不見馬上郎、但見黄塵起、黄塵汚人衣、皂莢相料理僧弁滅、羣臣以謡言奏、言僧弁本乗巴馬撃侯景。「馬上郎」、王字也、「塵」謂陳也、而不觧「皂莢」之謂。既而陳滅於隋、説者以為江東以羯羊角為皂莢、隋氏姓楊、楊、羊也。言終滅於隋。北斉末、諸省官多称省主、主将見省也。則興亡之兆、尽有徴云。〕
書き下し
仁寿四年に至り、洛陽に終わる。〈先に是れ、蔣山の衆鳥、翼を鼓し膺を撫して曰く「奈何ぞ帝、奈何ぞ帝」と。後主の東宮に在る時、鳥有り一足にして、其の殿庭に集まり、觜を以て地を画して文を成す。曰く「独足、高台に上る。盛草、化して灰と為る。吾が家の処を知らんと欲せば、朱関、当に水に開くべし」と。解する者以為えらく、独足は後主の独り行きて衆無きを言い、盛草は荒穢を言う。隋は火運を承く。火を得て灰と為る。京師に至るに及び、都水台に家す。所謂高台、水に当たるなり。会稽の人史溥有り。曽て朱衣を着けたる人、武冠して天より下るを夢む。手を以て金牌を執る。溥、往きて看るに、上の文に曰く「陳氏五主、三十四年」と。陳亡ぶ。果たして夢の如し。梁末の童謡に曰く「憐れむ可し巴馬の子、一日に千里を行く。馬上の郎を見ずして、但だ黄塵の起こるを見る。黄塵、人の衣を汚す。皂莢、相い料理す」と。僧弁滅び、群臣、謡言を以て奏す。言う、僧弁、本と巴馬に乗じて侯景を撃つと。馬上の郎は、王の字なり。塵は陳を謂うなり。而して皂莢の謂いを解せず。既にして陳、隋に滅ぶ。説く者以為えらく、江東は羯羊の角を以て皂莢と為す。隋氏の姓は楊なり。楊は羊なり。終に隋に滅ぶを言うなり。北斉の末、諸省の官、多く省主と称す。主、将に省みられんとするなり。則ち興亡の兆し、尽く徴有りと云う。〉
現代語訳
仁寿四年に至って、洛陽で死んだ。〈これより先、蔣山の鳥たちが翼を打ち胸を撫でて「なんという帝、なんという帝」と鳴いた。後主が東宮にいたとき、片足の鳥が殿庭に集まり、嘴で地に字を書いた。「独足が高台に上る。盛んな草は灰になる。わが家の場所を知りたければ、朱い関が水に開く」。解く者はこう言った。独足とは後主が独りで行き味方がないこと、盛草とは荒れ果てること。隋は火の運を継ぐ。火を得て灰になる。都に着いてから都水台に住んだ。いわゆる高台が水に当たるである。会稽の人に史溥がいた。かつて朱い衣を着て武冠をつけた人が天から下りてくる夢を見た。手に金の札を持っていた。史溥が行って見ると、上に「陳氏五主、三十四年」とあった。陳が滅び、果たして夢のとおりだった。梁末の童謡にこうあった。「憐れむべし巴馬の子、一日に千里を行く。馬上の郎を見ずに、ただ黄塵が立つのを見る。黄塵は人の衣を汚す。皂莢が始末をつける」。王僧弁が滅び、群臣は謡の言葉を上奏した。王僧弁はもと巴の馬に乗って侯景を撃ったという。馬上の郎は王の字である。塵は陳である。皂莢の意味は分からなかった。やがて陳が隋に滅ぼされた。説く者は、江東では羯羊の角を皂莢というと言った。隋氏の姓は楊で、楊は羊である。ついに隋に滅ぼされることを言っていたという。北斉の末、各省の官が多く省主と称した。主が省みられようとしている、である。興亡の兆しには、すべてしるしがあるという。〉
解説
この章句が説くこと
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