長短経 / 三国権
龎統説備曰、「荆州荒殘、人物單盡。東有吴孫、北有曹氏、鼎足之計、難以得志。今益州國富人強、戸口百萬、郡中兵馬、所出畢具、寳貨無求於外。今可權借以定大事。」備曰、「今指與吾為水火者、曹操也。操以急、吾以寛、操以暴、吾以仁、操以譎、吾以忠。每與操反、事乃可成耳。今以小故而失信義於天下者、吾所不取也。」統曰、「權變之時、固非一道所能定也。兼弱吞昧、五伯之事、逆取順守、報之以義、事定之後、封以大國、何負於信?今日不取、終為人利耳。」備乃使關羽守荆州、欲自取蜀。
新字:龐統説備曰、「荆州荒残、人物単尽。東有呉孫、北有曹氏、鼎足之計、難以得志。今益州国富人強、戸口百万、郡中兵馬、所出畢具、宝貨無求於外。今可権借以定大事。」備曰、「今指与吾為水火者、曹操也。操以急、吾以寛、操以暴、吾以仁、操以譎、吾以忠。毎与操反、事乃可成耳。今以小故而失信義於天下者、吾所不取也。」統曰、「権変之時、固非一道所能定也。兼弱呑昧、五伯之事、逆取順守、報之以義、事定之後、封以大国、何負於信?今日不取、終為人利耳。」備乃使関羽守荆州、欲自取蜀。
書き下し
龐統、備に説きて曰く「荊州は荒残し、人物単尽す。東に呉孫有り、北に曹氏有り。鼎足の計、以て志を得難し。今、益州は国富み人強く、戸口百万、郡中の兵馬、出だす所畢く具わり、宝貨は外に求むること無し。今、権に借りて以て大事を定むべし」と。備曰く「今、吾と水火を為す者を指せば、曹操なり。操は急を以てし、吾は寛を以てす。操は暴を以てし、吾は仁を以てす。操は譎を以てし、吾は忠を以てす。毎に操と反すれば、事乃ち成すべきのみ。今、小故を以て信義を天下に失う者は、吾の取らざる所なり」と。統曰く「権変の時は、固より一道の能く定むる所に非ず。弱を兼ね昧を攻むるは、五伯の事なり。逆に取りて順に守り、之に報ゆるに義を以てし、事定まるの後、封ずるに大国を以てせば、何ぞ信に負かん。今日取らずんば、終に人の利と為らんのみ」と。備乃ち関羽をして荊州を守らしめ、自ら蜀を取らんと欲す。
現代語訳
龐統が劉備に説いた。「荊州は荒れ果て、人材も尽きています。東には孫氏、北には曹氏がいて、三つ巴の計では志を遂げにくい。いま益州は国が富み人は強く、戸口は百万、郡の兵馬は必要なものがすべてそろい、財宝も外に求める必要がありません。いまはひとまず権道によって大事を定めるべきです」。劉備は言った。「いま私と水と火のように相容れないのは曹操だ。曹操が厳しくすれば私は寛大に、曹操が乱暴なら私は仁で、曹操が偽りなら私は誠で臨む。いつも曹操と反対のことをしてこそ、事は成るのだ。いま小さなことのために天下の信義を失うのは、私の取らないところだ」。龐統は言った。「臨機応変の時には、もとより一つの道だけで事を定めることはできません。弱い者を併せ暗愚な者を攻めるのは、五覇がしたことです。道に外れた手段で取っても、道に従って守り、義で報い、事が定まった後に劉璋を大きな国に封じれば、どうして信義に背くことになりましょう。今日取らなければ、結局は他人の利になるだけです」。劉備はそこで関羽に荊州を守らせ、自ら蜀を取ろうとした。
解説

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