長短経 / 懼戒
〔議曰、陳夀稱先主𢎞毅寛厚、知人待士、蓋有髙祖之風、英雄之器也。機權幹畧、不逮魏武。然折而不撓、終不為下者、抑揆彼之量必不容已非唯競利且以避害。語曰、「一棲不兩雄、一泉無二蛟。」由此觀之、若位同權均、必不容已有自來矣。曹公欲遣家居鄴、與袁紹連和、惑之甚也!〕
新字:〔議曰、陳寿称先主弘毅寛厚、知人待士、蓋有高祖之風、英雄之器也。機権幹略、不逮魏武。然折而不撓、終不為下者、抑揆彼之量必不容已非唯競利且以避害。語曰、「一棲不両雄、一泉無二蛟。」由此観之、若位同権均、必不容已有自来矣。曹公欲遣家居鄴、与袁紹連和、惑之甚也!〕
書き下し
〔議に曰く、陳寿称す、先主は弘毅寛厚にして、人を知り士を待つ。蓋し高祖の風、英雄の器有り。機権幹略は、魏武に逮ばず。然れども折れて撓まず、終に下と為らざる者は、抑も彼の量を揆るに必ず己を容れざらんとす。唯だ利を競うのみに非ず、且つ以て害を避く、と。語に曰く「一棲に両雄あらず、一泉に二蛟無し」と。此に由りて之を観れば、若し位同じく権均しければ、必ず己を容れざること、自りて来たる有り。曹公の家を遣わして鄴に居らしめ、袁紹と連和せんと欲せしは、惑えるの甚だしきなり。〕
現代語訳
〔論じて言う。陳寿は劉備を評して、度量が広く意志強く寛大で、人を見抜き士を厚く待遇し、高祖劉邦の風格と英雄の器があった、と言う。臨機応変の策略では曹操に及ばなかった。それでも折れても曲がらず、最後まで人の下につかなかったのは、曹操の度量を量って、必ず自分を受け入れないと見たからで、ただ利を競ったのではなく、害を避けるためでもあった、と。「一つのねぐらに二羽の雄はいられず、一つの泉に二匹の蛟はいない」という言葉がある。これで見れば、位が同じで権力が等しければ、必ず相手を受け入れないのには理由がある。曹操が家族を鄴に送って袁紹と同盟しようとしたのは、ひどい惑いであった。〕
解説
趙蕤は劉備を引き合いに出します。劉備が何度負けても曹操の下につかなかったのは、意地ではなく、曹操が自分を生かしておくはずがないと見抜いていたからだ。同じ器の者が二人並べば、上に立つ側は必ずもう一方を除こうとする。一つのねぐらに雄は二羽いられない。曹操が袁紹の傘下に入ろうとしたのは、この道理を忘れた惑いだった。大きな力を持つ者同士の同盟は、どちらかが下になった瞬間に危うくなるのです。
この章句が説くこと
懼戒劉備曹操陳寿両雄並び立たず傘下
関連する章句
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