長短経 / 正論
後漢竇武上書曰、“間者有嘉禾、芝草、黄龍之瑞見。夫瑞生必於嘉土、福至實由吉人。在徳為瑞、無徳為灾。陛下所行、不合天意、不宜稱慶。”
新字:後漢竇武上書曰、“間者有嘉禾、芝草、黄竜之瑞見。夫瑞生必於嘉土、福至実由吉人。在徳為瑞、無徳為災。陛下所行、不合天意、不宜称慶。”
書き下し
後漢の竇武、上書して曰く「間者、嘉禾・芝草・黄龍の瑞、見るる有り。夫れ瑞の生ずるは必ず嘉土に於てし、福の至るは実に吉人に由る。徳に在れば瑞と為り、徳無ければ災いと為る。陛下の行う所、天意に合わず。慶を称するに宜しからず」と。
現代語訳
後漢の竇武が上書して言った。「近ごろ立派な稲、霊芝、黄色い龍という瑞祥が現れました。瑞祥が生じるのは必ず善い土地であり、福が至るのは実によい人によります。徳があれば瑞となり、徳がなければ災いとなる。陛下の行いは天の意に合っていません。めでたいと称するのはふさわしくありません」。
解説
めでたい前兆が出たと報告されたときに、めでたくないと言い切った上書です。瑞祥は土地と人の徳があってはじめて瑞祥になる。徳がなければ同じものが災いになる、と。吉兆を吉兆として受け取る資格の話をしています。良い知らせが届いたときこそ、それを受け取る側の状態を疑う。世辞と祝賀に囲まれる立場の人ほど効く言葉です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
正論陰陽家竇武瑞祥徳吉兆
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国語・周語上「夫れ先王の制、邦内は甸服(でんぷく)、邦外は侯服、侯・衛は賓服、蛮・夷は要服、戎・狄は荒服なり。甸服の者は祭り、侯服の者は祀り、賓服の者は享(きょう)し、要服の者は貢し、荒服の者は王とす。日に祭り、月に祀り、時に享し、歳に貢し、終に王とするは、先王の訓えなり。祭らざること有れば則ち意を修め、祀らざること有れば則ち言を修め、享せざること有れば則ち文を修め、貢せざること有れば則ち名を修め、王とせざること有れば則ち徳を修め、序成りて至らざること有れば則ち刑を修む。是に於いてか祭らざるを刑し、祀らざるを伐ち、享せざるを征し、貢せざるを譲(せ)め、王とせざるに告ぐること有り。是に於いてか刑罰の辟(へき)有り、攻伐の兵有り、征討の備え有り、威譲の令有り、文告の辞有り。令を布き辞を陳べて又至らざれば、則ち増(ますます)徳を修めて民を遠きに勤めず。是を以て近きは聴かざる無く、遠きは服せざる無し。 「今大畢(たいひつ)・伯士(はくし)の終わりしより、犬戎氏其の職を以て来たりて王とす。天子曰く、『予必ず享せざるを以て之を征し、且つ之に兵を観(しめ)さん』と。其れ乃ち先王の訓えを廃して、王幾(あや)うくして頓(やぶ)るること無からんや。吾聞く、夫の犬戎は惇(とん)を樹(た)て、旧徳に帥(したが)いて終わりを守ること純固なりと。其れ以て我を禦(ふせ)ぐこと有らん」と。 王聴かず、遂に之を征し、四白狼・四白鹿を得て以て帰る。是より荒服の者至らず。