長短経 / 三国権
㑹劉璋聞曹公向漢中討張魯、内懐恐懼。别駕張松説璋曰、「曹公兵強、無敵於天下。若因張魯之資、以取蜀土、誰能禦之?劉豫州、使君之宗而曹公之深讐也。若使之討魯、魯必破。魯破則益州強、曹公雖来、無能為也。」璋然之、遣法正迎先主。〔時黄權諌曰、「左將軍有梟名、今以部曲遇之則不滿其心、以客禮待之則一國不容二君、若客有㤗山之安、則主有累卵之危。願且閉境以待河清。」時劉巴亦諫曰、「備、雄傑人也。入必有為、不可内也。」既入、巴又曰、「若使備討張魯、是放虎於山林也。」璋並不聼〕先主與璋㑹涪。璋既還成都、先主當為璋北征漢中。
新字:会劉璋聞曹公向漢中討張魯、内懐恐懼。別駕張松説璋曰、「曹公兵強、無敵於天下。若因張魯之資、以取蜀土、誰能禦之?劉予州、使君之宗而曹公之深讐也。若使之討魯、魯必破。魯破則益州強、曹公雖来、無能為也。」璋然之、遣法正迎先主。〔時黄権諌曰、「左将軍有梟名、今以部曲遇之則不満其心、以客礼待之則一国不容二君、若客有㤗山之安、則主有累卵之危。願且閉境以待河清。」時劉巴亦諫曰、「備、雄傑人也。入必有為、不可内也。」既入、巴又曰、「若使備討張魯、是放虎於山林也。」璋並不聴〕先主与璋会涪。璋既還成都、先主当為璋北征漢中。
書き下し
会々劉璋、曹公の漢中に向かいて張魯を討つと聞き、内に恐懼を懐く。別駕張松、璋に説きて曰く「曹公は兵強く、天下に敵無し。若し張魯の資に因りて、以て蜀の土を取らば、誰か能く之を禦がん。劉豫州は、使君の宗にして曹公の深讐なり。若し之をして魯を討たしめば、魯必ず破れん。魯破るれば則ち益州強く、曹公来たると雖も、能く為す無からん」と。璋之を然りとし、法正を遣わして先主を迎えしむ。〔時に黄権諫めて曰く「左将軍は梟名有り。今、部曲を以て之を遇せば則ち其の心を満たさず、客礼を以て之を待てば則ち一国に二君を容れず。若し客に泰山の安有らば、則ち主に累卵の危有らん。願わくは且く境を閉じて以て河の清むを待て」と。時に劉巴も亦た諫めて曰く「備は雄傑の人なり。入らば必ず為す有らん。内るべからざるなり」と。既に入り、巴又た曰く「若し備をして張魯を討たしむるは、是れ虎を山林に放つなり」と。璋並びに聴かず。〕先主、璋と涪に会す。璋既に成都に還り、先主当に璋の為に北のかた漢中を征せんとす。
現代語訳
ちょうどそのころ劉璋は、曹操が漢中に向かい張魯を討つと聞いて、内心恐れた。別駕の張松が劉璋に説いた。「曹公は兵が強く天下に敵がいません。もし張魯の地を足がかりに蜀を取りに来たら、誰が防げましょう。劉豫州は殿と同じ劉氏で、曹公の深い仇です。彼に張魯を討たせれば、張魯は必ず破れます。張魯が破れれば益州は強くなり、曹公が来ても何もできません」。劉璋はもっともだと思い、法正を遣わして劉備を迎えさせた。〔このとき黄権が諫めた。「左将軍劉備は梟雄として名があります。いま配下の部将として扱えば心を満たせず、客として礼遇すれば一国に二人の君主は並び立ちません。客が泰山のように安泰なら、主は積み重ねた卵のように危うくなります。どうかしばらく国境を閉じて、黄河が澄むのを待つように時を待ってください」。劉巴も諫めた。「劉備は英雄です。入れば必ず何かをします。入れてはいけません」。劉備が入国すると、劉巴はまた言った。「劉備に張魯を討たせるのは、虎を山林に放つようなものです」。劉璋はどちらも聞き入れなかった。〕劉備は劉璋と涪で会見した。劉璋は成都に戻り、劉備は劉璋のために北の漢中を征伐することになった。
解説
この章句が説くこと
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論語・子罕篇子、匡に畏る。曰く、「文王既に没するも、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与かるを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん。」
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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論語・子張篇子張曰く、士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。
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風憲忠告・臨難苐九夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。
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