長短経 / 論士
徳合則未見而相親、聲同則處異而相應。”韓子曰、趣捨同則相是、趣捨異則相非。”何以明之?楚襄王問宋玉曰、“先生其有遺行歟?何士人衆庶不譽之甚?”宋玉曰、“夫鳥有鳳而魚有鯨、鳳皇上擊九萬里翺翔乎窈㝠之上、夫蕃籬之鷃、豈能與料天地之髙哉?鯨魚朝發於崑崙之墟、暮宿於孟津、夫尺澤之鯢、豈能與量江海之大哉?故非獨鳥有鳳而魚有鯨、士亦有之。夫聖人瑰琦意行、超然獨處。夫世俗之民、又安知臣之所為哉?”
新字:徳合則未見而相親、声同則処異而相応。”韓子曰、趣捨同則相是、趣捨異則相非。”何以明之?楚襄王問宋玉曰、“先生其有遺行歟?何士人衆庶不誉之甚?”宋玉曰、“夫鳥有鳳而魚有鯨、鳳皇上撃九万里翺翔乎窈㝠之上、夫蕃籬之鷃、豈能与料天地之高哉?鯨魚朝発於崑崙之墟、暮宿於孟津、夫尺沢之鯢、豈能与量江海之大哉?故非独鳥有鳳而魚有鯨、士亦有之。夫聖人瑰琦意行、超然独処。夫世俗之民、又安知臣之所為哉?”
書き下し
徳合すれば則ち未だ見ざるに相い親しみ、声同じければ則ち処を異にして相い応ず」と。韓子曰く「趣捨同じければ則ち相い是とし、趣捨異なれば則ち相い非とす」と。何を以て之を明らかにせん。楚の襄王、宋玉に問いて曰く「先生、其れ遺行有るか。何ぞ士人衆庶の之を誉めざること甚だしきや」と。宋玉曰く「夫れ鳥に鳳有り、魚に鯨有り。鳳凰は上り撃つこと九万里、窈冥の上に翺翔す。夫の蕃籬の鷃、豈に能く与に天地の高きを料らんや。鯨魚は朝に崑崙の墟を発し、暮に孟津に宿る。夫の尺沢の鯢、豈に能く与に江海の大を量らんや。故に独り鳥に鳳有り魚に鯨有るのみに非ず、士にも亦た之れ有り。夫れ聖人の瑰琦なる意行は、超然として独り処る。夫れ世俗の民、又た安くんぞ臣の為す所を知らんや」と。
現代語訳
徳が合えばまだ会わないうちから親しみ、声が同じであれば離れた場所にいても響き合う」。韓非子はこう言う。「好き嫌いが同じであれば互いを正しいとし、好き嫌いが違えば互いを間違いとする」。なぜそう言えるのか。楚の襄王が宋玉に尋ねた。「先生には何か行いに落ち度があるのか。どうして士も庶民もこれほどあなたを褒めないのか」。宋玉は言った。「鳥には鳳があり、魚には鯨があります。鳳凰は九万里を上り、はるかな高みを飛び回ります。垣根のあたりの小鳥に、どうして天地の高さが測れましょう。鯨は朝に崑崙の丘を発ち、夕方には孟津に宿ります。尺ばかりの沼のはやに、どうして大河や海の広さが測れましょう。だから鳥に鳳があり魚に鯨があるだけでなく、士にもまたそういう者がいます。聖人の並外れた志と行いは、超然として独り立っています。世俗の民に、どうして私のしていることが分かりましょう」。
解説
この章句が説くこと
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