長短経 / 臣行
安官貪祿、不務公事、與世沉浮、左右觀望。如此者、具臣也。主所言皆曰“善”、主所為皆曰“可”、隱而求主之所好而進之、以快主之耳目。偷合茍容、與主為樂、不顧後害。如此者、䛕臣也。
新字:安官貪禄、不務公事、与世沈浮、左右観望。如此者、具臣也。主所言皆曰“善”、主所為皆曰“可”、隠而求主之所好而進之、以快主之耳目。偸合苟容、与主為楽、不顧後害。如此者、䛕臣也。
書き下し
官に安んじ禄を貪り、公事を務めず、世と沈浮し、左右観望す。此くの如き者は具臣なり。主の言う所は皆な「善し」と曰い、主の為す所は皆な「可なり」と曰う。隠れて主の好む所を求めて之を進め、以て主の耳目を快くす。偸かに合し苟くも容れられ、主と楽しみを為し、後害を顧みず。此くの如き者は諛臣なり。
現代語訳
官職に安んじて俸禄を貪り、公の仕事に務めず、世間と浮き沈みし、左右を見回してうかがう。このような者は数合わせの臣である。主君の言うことはすべて「よろしい」と言い、主君のすることはすべて「結構です」と言う。こっそりと主君の好むものを探し出して差し出し、主君の耳と目を喜ばせる。その場しのぎで調子を合わせ、なんとか受け入れられ、主君と楽しみをともにし、後の害を顧みない。このような者は諛臣である。
解説
六邪の最初の二つです。具臣は、悪事を働くわけではありません。ただ数合わせとして席にいるだけ。左右観望という四字が的確で、周りの様子をうかがって自分の意見を決める人のことです。諛臣はもう一歩進んで、主君の好むものを先回りして探し出す。先回りは本来よい性質ですが、向く先が公の仕事ではなく主君の好みであるとき、それは諛になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
臣行六邪具臣諛臣左右観望迎合
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