長短経 / 七雄略
武帝施主父之筞推恩之令。〔主父偃説上曰、「古者諸侯不過百里、强弱之形易制。今諸侯或連城數十、地方千里、緩則驕奢、易為淫亂、急則阻其强而合縱、以逆京師。今以法割削、則逆節萌起、前日晁錯是也。今諸侯子弟或十數而嫡嗣代立、餘雖骨肉、無尺地封、則仁孝之道不宣、願陛下令諸侯得推恩、分子弟以地侯之、彼人人喜得所願。上以徳施、實分其國、必稍自弱矣。」上從其計也。〕
新字:武帝施主父之筞推恩之令。〔主父偃説上曰、「古者諸侯不過百里、強弱之形易制。今諸侯或連城数十、地方千里、緩則驕奢、易為淫乱、急則阻其強而合縦、以逆京師。今以法割削、則逆節萌起、前日晁錯是也。今諸侯子弟或十数而嫡嗣代立、余雖骨肉、無尺地封、則仁孝之道不宣、願陛下令諸侯得推恩、分子弟以地侯之、彼人人喜得所願。上以徳施、実分其国、必稍自弱矣。」上従其計也。〕
書き下し
武帝、主父の策、推恩の令を施す。〔主父偃、上に説きて曰く「古は諸侯百里に過ぎず、強弱の形、制し易し。今、諸侯或いは城を連ぬること数十、地は方千里。緩なれば則ち驕奢にして、淫乱を為し易く、急なれば則ち其の強きを阻みて合縦し、以て京師に逆らう。今、法を以て割削すれば、則ち逆節萌起す。前日の晁錯是れなり。今、諸侯の子弟或いは十数にして、嫡嗣代わりて立ち、余は骨肉なりと雖も、尺地の封無し。則ち仁孝の道宣べず。願わくは陛下、諸侯をして恩を推し、子弟に地を分かちて之を侯とすることを得しめよ。彼、人々願う所を得るを喜ばん。上は徳を以て施し、実に其の国を分かたば、必ず稍く自ら弱からん」と。上、其の計に従うなり。〕
現代語訳
武帝は主父偃の策である推恩の令を施行した。〔主父偃は帝に説いた。「昔は諸侯の国は百里四方を超えず、強弱の形勢を制しやすかった。いま諸侯の中には数十の城を連ね、千里四方の地を持つ者がいます。締めつけが緩ければ驕って贅沢になり乱れやすく、厳しくすればその強さを頼んで合従し、都に逆らいます。いま法で領地を削れば、反逆の芽が出ます。先の晁錯がそうでした。いま諸侯の子弟は十数人いても、嫡子だけが跡を継ぎ、残りは骨肉でありながらわずかな土地も封じられていません。これでは仁と孝の道が行き渡りません。どうか陛下、諸侯が恩を広げて、子弟に土地を分けて侯にできるようにしてください。彼らは一人ひとり願いがかなったと喜ぶでしょう。陛下は徳を施す形をとりながら、実際にはその国を分けることになり、諸侯は必ずしだいに弱まります」。帝はこの計に従った。〕
解説
この章句が説くこと
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