長短経 / 正論
雜家者、蓋出于議官、兼儒墨、合名法、知國體之有此、見王理之無不貫、此其所長也。及蕩者為之、則漫羡而無所歸心、此雜家之弊也。農家者、蓋出於農稷之官、播百穀、勸耕桑、以足衣食。孔子曰、“所重人食。”此其所長也。及鄙者為之、則欲君臣之並耕、誖上下之序、農家之弊也。〔班固曰、馬遷《史記》、其是非頗謬于聖人。論大道、則先黄老、而後六經、序遊俠、則退處士、而進奸雄、述貨殖、則崇利勢、而羞貧賤。此其所蔽也。然其善序事理、辨而不華、質而不俚、其文直事核、不虚美、不隠惡、故世謂之實録〕
新字:雑家者、蓋出于議官、兼儒墨、合名法、知国体之有此、見王理之無不貫、此其所長也。及蕩者為之、則漫羡而無所帰心、此雑家之弊也。農家者、蓋出於農稷之官、播百穀、勧耕桑、以足衣食。孔子曰、“所重人食。”此其所長也。及鄙者為之、則欲君臣之並耕、誖上下之序、農家之弊也。〔班固曰、馬遷《史記》、其是非頗謬于聖人。論大道、則先黄老、而後六経、序遊侠、則退処士、而進奸雄、述貨殖、則崇利勢、而羞貧賤。此其所蔽也。然其善序事理、弁而不華、質而不俚、其文直事核、不虚美、不隠悪、故世謂之実録〕
書き下し
雑家なる者は、蓋し議官に出づ。儒墨を兼ね、名法を合し、国体の此れ有るを知り、王理の貫かざる無きを見る。此れ其の長ずる所なり。蕩なる者の之を為すに及びては、則ち漫羨として帰する所心無し。此れ雑家の弊なり。農家なる者は、蓋し農稷の官に出づ。百穀を播き、耕桑を勧め、以て衣食を足す。孔子曰く「重んずる所は人の食」と。此れ其の長ずる所なり。鄙なる者の之を為すに及びては、則ち君臣の並び耕さんことを欲し、上下の序に誖る。農家の弊なり。〈班固曰く、馬遷の史記は、其の是非頗る聖人に謬る。大道を論ずれば、則ち黄老を先にして六経を後にす。遊俠を序すれば、則ち処士を退けて奸雄を進む。貨殖を述ぶれば、則ち利勢を崇びて貧賤を羞ず。此れ其の蔽う所なり。然れども其の善く事理を序し、弁じて華ならず、質にして俚ならず、其の文は直、事は核、美を虚しくせず、悪を隠さず。故に世之を実録と謂う。〉
現代語訳
雑家は議論をつかさどる議官から出た。儒家と墨家を兼ね、名家と法家を合わせ、国のあり方にこれらがあることを知り、王の治め方が貫かないものはないと見る。これがその長所である。とりとめのない者がこれをやると、漂って帰着する心がない。これが雑家の弊害である。農家は農事をつかさどる官から出た。穀物を播き、耕作と養蚕を勧め、衣食を足す。孔子は「重んじるのは民の食である」と言った。これがその長所である。粗野な者がこれをやると、君も臣も一緒に耕すべきだと考え、上下の序列に背く。これが農家の弊害である。〈班固はこう言った。司馬遷の史記は、その是非が聖人とかなり食い違う。大道を論じれば黄老を先にして六経を後にし、遊俠を述べれば隠者を退けて奸雄を進め、貨殖を述べれば利益と勢いを尊んで貧賤を恥じる。これがその覆われたところである。しかし事の筋道をよく述べ、弁じて華美でなく、質朴で卑俗でなく、その文は直截で事実は確かで、美点を誇張せず悪を隠さない。だから世はこれを実録と呼ぶ。〉
解説
この章句が説くこと
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