長短経 / 教戦
孔子曰、“不教人戰、是謂棄之。”故知卒不服習、起居不精、前擊後解、與金鼓之音相失、百不當一、此棄之者也。故領三軍、教之戰者、必有金鼓約令、所以整齊士卒也。教令操兵起居、旌旗指麾之變。故教使一人學戰、教成合之十人。十人學戰、教成合之百人。漸至三軍之衆。
新字:孔子曰、“不教人戦、是謂棄之。”故知卒不服習、起居不精、前撃後解、与金鼓之音相失、百不当一、此棄之者也。故領三軍、教之戦者、必有金鼓約令、所以整斉士卒也。教令操兵起居、旌旗指麾之変。故教使一人学戦、教成合之十人。十人学戦、教成合之百人。漸至三軍之衆。
書き下し
孔子曰く「人に戦いを教えざる、是れ之を棄つと謂う」と。故に知る、卒服習せず、起居精ならず、前撃ちて後解け、金鼓の音と相失わば、百も一に当たらず。此れ之を棄つる者なり。故に三軍を領して、之に戦いを教うる者は、必ず金鼓約令有り。士卒を整斉する所以なり。兵を操り起居し、旌旗指麾の変を教令す。故に一人をして戦いを学ばしめ、教え成れば之を十人に合わす。十人戦いを学び、教え成れば之を百人に合わす。漸く三軍の衆に至る。
現代語訳
孔子は「民に戦いを教えずに戦わせるのは、民を捨てることだ」と言った。だから兵が訓練に慣れておらず、立ち居振る舞いが整わず、前が戦っているのに後ろが崩れ、鉦や太鼓の合図と動きが合わなければ、百人でも一人に当たらない。これが兵を捨てるということだとわかる。だから三軍を率いて戦いを教える者は、必ず鉦や太鼓の合図と約束事を持つ。兵を整えるためである。武器の扱い、立ち居振る舞い、旗の指図による変化を教え命じる。まず一人に戦いを学ばせ、教えが身についたら十人に合わせる。十人が戦いを学び、身についたら百人に合わせる。こうして少しずつ三軍の大勢に至る。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 別存 第七条 進講の前日は心斎す公進講有る毎に、前一日心斎して家に在り。緊要急務有るに非ざれば、則ち客来るも面せず。蓋し此くの如くならざれば、則ち講に臨みて以て主聴を竦ましむるに足らず。余竊かに敬服す。
-
司馬法・定爵教えは惟(こ)れ豫(あらかじ)め、戦いは惟れ節(せつ)。
-
うひ山ぶみ・第六段まことに然あるべきことにて、その学のしなを正し、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落チざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也、
-
『甲陽軍鑑』品第十四惣別信玄公の合戦は働き前へに取りかけんと、思ふ国のゑづをもつて、各守侍大将打ち寄り、其国の嶮難の塲をさたして、一の手·二の手·横鎗·脇備·後備·小荷駄奉行所に依りてまほる旗遊軍·押勢などゝ申す事わり候ひて、卒爾にがけなどへころびおつる儀いづかたにても、さのみ無之、左様にいたすを甲州の軍法といふ、但しかり田などにゆき人夫の一二人は在々などにて、自然穴へおつることも有るべし、味方が原合戦の刻みがけへ落ちたる武田武者一人もなく候、家康武者もみだりに北たる衆なければ、結句馬塲美濃守は浜松衆の体皆勝負をして死する故、此方へ向きたると信玄公御前にて家康衆をあさからずほめ候、信長衆佐久間右衛門は合戦にあはず浜松の城に迯げ入り、其外六七手は其夜に吉田岡崎迄落ちつるときく、是れは味方が原の儀馬をいるゝと云ふに付ての事、
-
孫子・形篇是の故に勝兵はまず勝ちて後に戦い、敗兵はまず戦いて後に勝ちを求む。
-
『呻吟語』内篇・談道・權は豫め設く可からず事に豫めして立つ有り、亦た豫めして廢るる者有り。吾れ曾て豫めして以て待つ有りしも、事に臨みて鑿枘合はず、竟に棄擲と成る者あり。所謂る權は豫め設く可からず、變は先に圖る可からずとは、又た一を執りて論じ難きなり。