長短経 / 五間
《周禮》曰、“巡國傳諜者、反間也。”吕望云、“間、搆飛言、聚為一卒。”是知用間之道、非一日也。〔凡有白氣羣行、徘徊結陣來者、為他國人來欲圖、人不可應、視其所往、隨而擊之、可得也。或有黒氣臨我軍上、如車輪行、敵人深入、謀亂吾國臣。或有黒氣遊行、中含五色、臨我軍上、敵必謀合諸侯而伐我國、諸侯反謀軍、軍自敗。或有黒氣如幢、出于營中、上黒下黄、敵欲來求戰。無誠實、言信相反、九日内必覺、備之、吉。或日月隂沈、無光不雨、或十日晝夜不見日月、名曰蒙臣謀主。故曰、乆隂不雨、臣謀主也。〕
新字:《周礼》曰、“巡国伝諜者、反間也。”呂望云、“間、搆飛言、聚為一卒。”是知用間之道、非一日也。〔凡有白気羣行、徘徊結陣来者、為他国人来欲図、人不可応、視其所往、随而撃之、可得也。或有黒気臨我軍上、如車輪行、敵人深入、謀乱吾国臣。或有黒気遊行、中含五色、臨我軍上、敵必謀合諸侯而伐我国、諸侯反謀軍、軍自敗。或有黒気如幢、出于営中、上黒下黄、敵欲来求戦。無誠実、言信相反、九日内必覚、備之、吉。或日月陰沈、無光不雨、或十日昼夜不見日月、名曰蒙臣謀主。故曰、久陰不雨、臣謀主也。〕
書き下し
周礼に曰く「国を巡りて諜を伝うる者は、反間なり」と。呂望云う「間は、飛言を構え、聚めて一卒と為す」と。是に知る、間を用うるの道は、一日に非ざるなり。〔凡そ白気群行し、徘徊して陣を結びて来たる者有らば、他国の人来たりて図らんと欲するなり。人応ずべからず。其の往く所を視て、随いて之を撃たば、得べきなり。或いは黒気の我が軍上に臨み、車輪の如く行く有らば、敵人深く入りて、吾が国の臣を謀乱す。或いは黒気遊行し、中に五色を含み、我が軍上に臨む有らば、敵必ず諸侯を謀合して我が国を伐たん。諸侯反りて軍を謀れば、軍自ら敗る。或いは黒気の幢の如く、営中より出で、上は黒く下は黄なる有らば、敵来たりて戦いを求めんと欲す。誠実無く、言信相反す。九日の内に必ず覚る。之に備うれば、吉なり。或いは日月陰沈して、光無く雨ふらず、或いは十日昼夜日月を見ざれば、名づけて蒙と曰い、臣主を謀る。故に曰く、久しく陰りて雨ふらざるは、臣主を謀るなり、と。〕
現代語訳
『周礼』に「国々を巡って密かに情報を伝える者は反間である」とある。太公望は「間者は流言を作る者で、集めて一隊とする」と言った。だから間者を用いる道は昨日今日のことではないとわかる。〔白い気が群れをなして行き、さまよいながら陣を結んで来るのは、他国の人が来て謀ろうとしているのである。応じてはならない。その行き先を見て、後を追って撃てば捕らえられる。黒い気が自軍の上に臨み車輪のように動けば、敵が深く入り込み、わが国の臣を謀って乱そうとしている。黒い気がさまよい、中に五色を含んで自軍の上に臨めば、敵は必ず諸侯と謀り合ってわが国を伐とうとしている。しかし諸侯がかえって敵軍を謀れば、敵軍は自ら敗れる。黒い気が旗のように陣中から出て、上が黒く下が黄なら、敵が戦いを求めに来ようとしているが、誠実さがなく言葉と信が食い違っている。九日以内に必ず発覚するので、備えれば吉である。日や月が曇って沈み、光もなく雨も降らない、あるいは十日も昼夜に日月が見えないのを蒙といい、臣が主君を謀っている。だから、長く曇って雨が降らないのは臣が主君を謀っているのだ、と言う。〕
解説

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