長短経 / 五間
陳平以金縱反間于楚軍、間范増楚王疑之。此用反間者也。〔事具霸紀。〕故知、三軍之親莫親于間、賞莫厚于間、事莫密于間。非聖智莫能用間、非密微莫能得間之實。此三軍之要、唯賢哲之所留意也。
新字:陳平以金縦反間于楚軍、間范増楚王疑之。此用反間者也。〔事具覇紀。〕故知、三軍之親莫親于間、賞莫厚于間、事莫密于間。非聖智莫能用間、非密微莫能得間之実。此三軍之要、唯賢哲之所留意也。
書き下し
陳平は金を以て反間を楚の軍に縦ち、范増を間す。楚王之を疑う。此れ反間を用うる者なり〔事は霸紀に具わる〕。故に知る、三軍の親は間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。聖智に非ずんば能く間を用うる莫く、密微に非ずんば能く間の実を得る莫し。此れ三軍の要にして、唯だ賢哲の意を留むる所なり。
現代語訳
陳平は金を使って楚軍に反間を放ち、項羽と范増の仲を裂いた。項羽は范増を疑った。これが反間を用いた例である〔このことは覇紀に詳しい〕。だから、全軍の中で間者ほど親しくすべき者はなく、間者ほど厚く賞すべき者はなく、間者に関わることほど秘密にすべきことはないとわかる。聖人の知恵がなければ間者を用いることはできず、細かく秘密を守らなければ間者から真実を得ることはできない。これは全軍の要であり、ただ賢者だけが心を留めるところである。
解説
陳平は大金を使って、項羽の唯一の参謀范増を疑わせ、楚の力を内側から削ぎました。五間の篇は、孫子の言葉で締めくくられます。全軍の中で最も親しく扱い、最も厚く報い、最も秘密を守るべきなのが情報を扱う者だ。そして、優れた知恵がなければ情報を使いこなせず、秘密を守る細やかさがなければ真実の情報は得られない。情報に投資を惜しみ、扱いを雑にする組織は、戦う前から負けているのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
五間陳平范増情報への投資秘密孫子
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