長短経 / 懼戒
客謂髙皇帝曰、『時可矣。』髙皇帝曰、『待之。聖人當起東南間。』不一年、陳勝、吳廣發矣。髙皇始於豐沛一唱、天下不期而響應者、不可勝數。也此所謂蹈瑕侯間、因秦之亡而動者也。百姓願之、若旱之望雨、故起于行陣之中而立為天子、功髙三皇徳傳無窮。今大王見髙皇得天下之易也、獨不觀近世之吳楚乎?夫吳王賜為劉氏祭酒、授几杖不朝、王四郡之衆、地方數千里、内鑄銅為錢、東煮海以為鹽、上取江陵木為船、國富人衆。舉兵而西、破于大梁、敗于狐父、奔走而東、至于丹徒、越人擒之、身死絶祀、為天下笑。夫以吳楚之衆、不能成功者、何也?誠逆天道而不知時也。
新字:客謂高皇帝曰、『時可矣。』高皇帝曰、『待之。聖人当起東南間。』不一年、陳勝、呉広発矣。高皇始於豊沛一唱、天下不期而響応者、不可勝数。也此所謂蹈瑕侯間、因秦之亡而動者也。百姓願之、若旱之望雨、故起于行陣之中而立為天子、功高三皇徳伝無窮。今大王見高皇得天下之易也、独不観近世之呉楚乎?夫呉王賜為劉氏祭酒、授几杖不朝、王四郡之衆、地方数千里、内鋳銅為銭、東煮海以為塩、上取江陵木為船、国富人衆。舉兵而西、破于大梁、敗于狐父、奔走而東、至于丹徒、越人擒之、身死絶祀、為天下笑。夫以呉楚之衆、不能成功者、何也?誠逆天道而不知時也。
書き下し
客、高皇帝に謂いて曰く『時可なり』と。高皇帝曰く『之を待て。聖人当に東南の間に起こるべし』と。一年ならずして、陳勝・呉広発す。高皇始めて豊沛に一唱し、天下期せずして響応する者、勝げて数うべからず。此れ所謂瑕を蹈み間を侯い、秦の亡ぶるに因りて動く者なり。百姓之を願うこと、旱の雨を望むが若し。故に行陣の中より起こりて立ちて天子と為り、功は三皇より高く、徳は無窮に伝う。今、大王は高皇の天下を得ることの易きを見て、独り近世の呉楚を観ざるか。夫れ呉王は劉氏の祭酒を賜わり、几杖を授けられて朝せず、四郡の衆に王たり、地は方数千里、内は銅を鋳て銭と為し、東は海を煮て以て塩と為し、上は江陵の木を取りて船と為し、国富み人衆し。兵を挙げて西し、大梁に破れ、狐父に敗れ、奔走して東し、丹徒に至り、越人之を擒にし、身死して祀を絶ち、天下の笑いと為る。夫れ呉楚の衆を以て、功を成すこと能わざる者は、何ぞや。誠に天道に逆らいて時を知らざればなり。
現代語訳
ある客が高皇帝劉邦に『時が来ました』と言いました。高皇帝は『待て。聖人は東南の方から起こるはずだ』と言いました。一年もたたずに陳勝・呉広が兵を挙げました。高皇帝が豊・沛で一声あげると、天下で申し合わせもなく呼応した者は数えきれませんでした。これが、隙を踏み機をうかがい、秦の滅亡に乗じて動くということです。民がそれを願うことは、日照りに雨を望むようでした。だから戦陣の中から起って天子となり、功は三皇より高く、徳は限りなく伝わったのです。いま大王は高皇帝が天下をたやすく得たことだけを見て、近ごろの呉楚の乱をご覧にならないのですか。呉王は劉氏の長老として敬われ、肘掛けと杖を賜って参朝を免じられ、四郡の民の王となり、土地は数千里四方、国内では銅で銭を鋳造し、東では海水を煮て塩を作り、江陵の木を取って船を造り、国は富み人は多かった。それでも兵を挙げて西へ向かうと、大梁で破れ、狐父で敗れ、東へ逃げて丹徒に至り、越の人に捕らえられ、身は死に祭祀は絶え、天下の笑いものになりました。呉楚の大軍でも成功しなかったのはなぜか。まことに天の道に逆らい、時を知らなかったからです。
解説

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