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長短経 / 覇図

莽以發定陵侯淳于長大姦、拜為大司馬、〔初、長與許皇后姊孊私通、因孊賂遺長。長許、欲白上為左皇后。時王根輔政、久病。長嘗代根。莽心害長寵、白根曰、「長與許貴人私交通、見將軍久病、私喜。」根怒、令莽白長、長下獄死。〕時年三十八。成帝崩、哀帝即位。立皇后傅后〔后即帝祖母、定陶恭太后從女弟也。〕封后父傅晏為孔郷侯。帝母丁后曰恭皇太后、舅丁明為安陽侯。莽乞骸骨、避丁、傅也。

新字:莽以発定陵侯淳于長大姦、拝為大司馬、〔初、長与許皇后姊孊私通、因孊賂遺長。長許、欲白上為左皇后。時王根輔政、久病。長嘗代根。莽心害長寵、白根曰、「長与許貴人私交通、見将軍久病、私喜。」根怒、令莽白長、長下獄死。〕時年三十八。成帝崩、哀帝即位。立皇后傅后〔后即帝祖母、定陶恭太后従女弟也。〕封后父傅晏為孔郷侯。帝母丁后曰恭皇太后、舅丁明為安陽侯。莽乞骸骨、避丁、傅也。

書き下し

莽、定陵侯淳于長の大姦を発くを以て、拝して大司馬と為す。〈初め、長、許皇后の姉孊と私通す。孊に因りて長に賂遺す。長許して、上に白して左皇后と為さんと欲す。時に王根、政を輔く。久しく病む。長、嘗て根に代わらんとす。莽、心に長の寵を害い、根に白して曰く「長、許貴人と私に交通し、将軍の久しく病むを見て、私かに喜ぶ」と。根怒り、莽をして長を白さしむ。長、獄に下りて死す。〉時に年三十八。成帝崩じ、哀帝即位す。皇后傅后を立つ。〈后は即ち帝の祖母、定陶恭太后の従女弟なり。〉后の父傅晏を封じて孔郷侯と為す。帝の母丁后を恭皇太后と曰い、舅の丁明を安陽侯と為す。莽、骸骨を乞う。丁・傅を避くるなり。

現代語訳

王莽は定陵侯淳于長の大きな不正を暴いて、大司馬に任じられた。〈はじめ、淳于長は許皇后の姉の孊と密通した。孊を通じて淳于長に賄賂が送られた。淳于長はそれを引き受け、上に申し上げて左皇后にしようとした。当時、王根が政を輔け、長く病んでいた。淳于長は王根に代わろうとしていた。王莽は心の中で淳于長の寵を妬み、王根に言った。「淳于長は許貴人と密通し、将軍が長く病んでいるのを見てひそかに喜んでいます」。王根は怒り、王莽に淳于長のことを訴えさせた。淳于長は獄に下って死んだ。〉このとき王莽は三十八歳。成帝が崩じて哀帝が即位した。皇后として傅后を立てた。〈后は帝の祖母である定陶恭太后のいとこの妹である。〉后の父傅晏を孔郷侯とした。帝の母の丁后を恭皇太后といい、母方の叔父の丁明を安陽侯とした。王莽は辞職を願い出た。丁氏と傅氏を避けたのである。

解説

王莽が大司馬になった経緯は、政敵の不正を暴いたことでした。告発の中身は事実だったのでしょう。ただし動機は心に長の寵を害う、つまり嫉妬だと史書は書きます。正しい告発と、私的な動機は両立する。そして新しい外戚が来ると、争わずに辞職しました。引くべきときに引ける判断力が、この人の恐ろしいところです。争わずに退いた数年が、次に戻るときの正当性になりました。

この章句が説くこと

覇図王莽淳于長告発動機外戚

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