長短経 / 正論
范曄曰、“夫遊庠序、服儒衣、所談者仁義、所傳者聖法也。故人識君臣父子之綱、家知違邪歸正之路。自桓、靈之間、朝綱日陵、國隙屢啓、中智以下、靡不審其崩離、而剛强之臣、息其闚盜之謀、豪俊之夫、屈于鄙生之議者、民誦先王之言也、下畏逆順之勢也。至如張温、皇甫嵩之徒、功定天下之半、聲馳四海之表、俯仰顧盼、則大業移矣、猶鞠躬昏主之下、狼狽折札之命、散成兵就繩約而無悔心者、斯豈非學者之效乎?故先師褒勵學者之功、篤矣。”〕
新字:范曄曰、“夫遊庠序、服儒衣、所談者仁義、所伝者聖法也。故人識君臣父子之綱、家知違邪帰正之路。自桓、霊之間、朝綱日陵、国隙屢啓、中智以下、靡不審其崩離、而剛強之臣、息其闚盗之謀、豪俊之夫、屈于鄙生之議者、民誦先王之言也、下畏逆順之勢也。至如張温、皇甫嵩之徒、功定天下之半、声馳四海之表、俯仰顧盼、則大業移矣、猶鞠躬昏主之下、狼狽折札之命、散成兵就縄約而無悔心者、斯豈非学者之効乎?故先師褒励学者之功、篤矣。”〕
書き下し
范曄曰く「夫れ庠序に遊び、儒衣を服し、談ずる所は仁義、伝うる所は聖法なり。故に人は君臣父子の綱を識り、家は邪に違い正に帰するの路を知る。桓・霊の間より、朝綱日に陵ぎ、国隙屢しば啓く。中智以下も、其の崩離を審らかにせざるは靡し。而も剛強の臣は、其の闚盗の謀を息め、豪俊の夫は、鄙生の議に屈するは、民は先王の言を誦し、下は逆順の勢いを畏るればなり。張温・皇甫嵩の徒の如きに至りては、功は天下の半ばを定め、声は四海の表に馳せ、俯仰顧盼すれば、則ち大業移らん。猶お昏主の下に鞠躬し、折札の命に狼狽し、成兵を散じて縄約に就きて悔心無き者は、斯れ豈に学者の効に非ずや。故に先師の学者を褒励するの功、篤し」と。〉
現代語訳
范曄はこう言った。「学校に学び、儒者の衣を着て、語るのは仁義、伝えるのは聖人の法である。だから人は君臣父子の綱を知り、家は邪を離れ正に帰る道を知る。桓帝霊帝のころから朝廷の綱紀は日に日に崩れ、国の裂け目がしばしば開いた。中程度の知恵より下の者でも、崩壊を見て取らない者はなかった。それでも強気の臣がひそかに奪う企てをやめ、豪傑が田舎儒者の議論に屈したのは、民が先王の言葉を唱え、下の者が逆らうか従うかの勢いを畏れたからである。張温や皇甫嵩のような者になると、功は天下の半ばを定め、名声は四海の外まで届き、ちょっと身じろぎすれば大業は移っただろう。それでも暗愚な君主の下で身をかがめ、短い書付一枚の命令に慌て、編成した軍を解いて縛につき悔いる心がなかったのは、学問の効果ではないか。だから先師が学者を励ました功績は篤い」。〉
解説
この章句が説くこと
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