長短経 / 是非
‘楚王子圉聘於鄭、未出境、聞王病、反問病、遂以冠纓絞王殺之、因自立也。齊崔杼之妻美、莊公通之、崔抒率其黨而攻莊公、莊公走出、踰於外墻、射中其股、遂殺之、而立其弟。近代李兊用趙、餓主父于沙丘、百日而殺之、淖齒用齊、擢閔王之筋、懸于廟梁宿昔而死。’夫厲雖腫胞之疾、上比前代、未至絞纓、射股也、下比近代、未至擢筋、餓死也。夫刼殺死亡之主、心之憂勞、形之困苦、必甚於厲矣。由此觀之、厲雖憐王、可也。”〔是曰〕
新字:‘楚王子圉聘於鄭、未出境、聞王病、反問病、遂以冠纓絞王殺之、因自立也。斉崔杼之妻美、荘公通之、崔抒率其党而攻荘公、荘公走出、踰於外墻、射中其股、遂殺之、而立其弟。近代李兊用趙、餓主父于沙丘、百日而殺之、淖歯用斉、擢閔王之筋、懸于廟梁宿昔而死。’夫厲雖腫胞之疾、上比前代、未至絞纓、射股也、下比近代、未至擢筋、餓死也。夫劫殺死亡之主、心之憂労、形之困苦、必甚於厲矣。由此観之、厲雖憐王、可也。”〔是曰〕
書き下し
『楚の王子囲、鄭に聘す。未だ境を出でずして、王の病むを聞く。反りて病を問い、遂に冠纓を以て王を絞めて之を殺し、因りて自立するなり。斉の崔杼の妻美なり。荘公之に通ず。崔杼、其の党を率いて荘公を攻む。荘公走り出で、外墻を踰ゆ。射て其の股に中つ。遂に之を殺して、其の弟を立つ。近代、李兌、趙を用い、主父を沙丘に餓えしめ、百日にして之を殺す。淖歯、斉を用い、閔王の筋を擢き、廟梁に懸け、宿昔にして死す』と。夫れ厲は腫胞の疾なりと雖も、上は前代に比ぶれば、未だ纓に絞められ股を射らるるに至らず。下は近代に比ぶれば、未だ筋を擢かれ餓死するに至らず。夫れ劫殺死亡の主は、心の憂労、形の困苦、必ず厲より甚だし。此に由りて之を観れば、厲の王を憐れむと雖も、可なり」と。〔是に曰く〕
現代語訳
『楚の王子囲が鄭へ聘問した。まだ国境を出ないうちに王の病を聞いた。引き返して病を見舞い、そのまま冠の紐で王を絞め殺して、自ら立った。斉の崔杼の妻が美しかった。荘公が通じた。崔杼は一党を率いて荘公を攻めた。荘公は走り出て外壁を越えようとした。射られて股に当たった。ついに殺され、その弟が立てられた。近ごろでは、李兌が趙で権を握り、主父を沙丘で飢えさせ、百日で殺した。淖歯が斉で権を握り、閔王の筋を抜いて廟の梁に吊るし、一晩で死なせた』。らい病は腫れ物の病とはいえ、前代に比べれば、紐で絞められ股を射られるには至りません。近ごろに比べれば、筋を抜かれ餓死するには至りません。脅され殺され死に至る君主は、心の憂いと苦労、体の困苦が、必ずらい病より甚だしい。ここから見れば、らい病の人が王を憐れむのも、もっともです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』是非易に曰く「崇高は富貴より大なるは莫し」と。又た曰く「聖人の大宝を位と曰う」と。〔非に曰く〕孫子、書を為りて春申君に謝して曰く「鄙諺に曰く『厲人は王を憐れむ』と。此れ不恭の言なり。然りと雖も、古に虚謬無し。審察せざる可からず。此れ劫殺死亡の生の為に言うなり。夫れ人主、年少くして材を矜り、法術の以て奸を知る無ければ、則ち大臣は断を主り私を図りて、以て己に誅を禁ず。故に賢長を殺して幼弱を立て、正嫡を廃して不義を立つ。春秋、之を戒めて曰く、
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『長短経』是非春秋後語に曰く「楚の春申君、孫子をして宰と為さしむ。客に春申君に説く者有りて曰く『湯は亳を以てし、武王は鎬を以てし、皆な百里に過ぎずして、以て天下を有てり。今、孫子は賢人なり。而るに君は之に百里の勢いを藉す。臣、竊かに君の為に之を危ぶむ』と。春申君曰く『善し』と。是に於て人をして孫子に謝せしむ。孫子、去りて趙に之く。趙は以て上卿と為す」と。〔非に曰く〕客、又た春申君に説きて曰く「昔、伊尹は夏を去りて殷に入り、殷は王として夏は亡ぶ。管仲は魯を去りて斉に入り、魯は弱くして斉は強し。夫れ賢者の在る所は、其の君未だ嘗て尊からずんばあらず、其の国未だ嘗て栄えずんばあらざるなり。今、孫子は賢人なり。君、何為れぞ之を辞するか」と。春申君又た曰く「善し」と。復た人をして孫子を請わしむ。
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戦国策・客說春申君客、春申君に説きて曰く、「湯は亳を以てし、武王は鄗を以てす、皆百里を過ぎずして天下を有てり。今、孫子は天下の賢人なり、君之に籍すに百里の勢を以てす、臣竊かに以て君に便ならずと為す。何如。」春申君曰く、「善し。」是に於て人をして孫子に謝せしむ。孫子去りて趙に之き、趙以て上卿と為す。客又春申君に説きて曰く、「昔、伊尹は夏を去りて殷に入り、殷王として夏亡ぶ。管仲は魯を去りて斉に入り、魯弱くして斉強し。夫れ賢者の在る所、其の君未だ嘗て尊ばれざるなく、国未だ嘗て栄えざるなきなり。今、孫子は天下の賢人なり。君何ぞ之を辞せんや。」春申君又曰く、「善し。」是に於て人をして孫子を趙に請わしむ。孫子書を為りて謝して曰く、「癘人(れいじん)王を憐れむは、此れ不恭の語なり。然りと雖も、審察せざるべからざるなり。此れ劫弑死亡の主の為の言なり。夫れ人主年少にして材を矜り、法術以て奸を知る無ければ、則ち大臣国を主断し私して以て己に禁誅す、故に賢長を弑して幼弱を立て、正適を廃して不義を立つ。春秋に之を戒めて曰く、『楚の王子囲、鄭に聘し、未だ竟を出でざるに、王病むを聞き、反りて疾を問い、遂に冠纓を以て王を絞めて之を殺し、因りて自ら立つ。斉の崔杼の妻美にして、荘公之に通ず。崔杼其の君の党を帥いて攻む。荘公与に国を分かたんことを請うも、崔杼許さず。自ら廟に刃せんと欲するも、崔杼許さず。荘公走りて出で、外牆を踰え、股に射中つ、遂に之を殺し、其の弟景公を立つ。』近代見る所、李兌趙を用い、主父を沙丘に餓えしめ、百日にして之を殺す。淖歯斉を用い、閔王の筋を擢き、其の廟梁に県け、宿夕にして死す。夫れ厲は癕腫胞疾と雖も、上は前世に比するに、未だ纓を絞め股を射るに至らず、下は近代に比するに、未だ筋を擢きて餓死せしむるに至らざるなり。夫れ劫弑死亡の主や、心の憂労、形の困苦、必ず癘より甚だし。此に由りて之を観れば、癘は王を憐れむと雖も可なり。」因りて賦を為して曰く、「宝珍隋珠、佩ぶるを知らざるかな。褘布と糸と、異なるを知らざるかな。閭姝・子奢、媒するを知る莫きかな。嫫母之を求め、又甚だ之を喜ぶかな。瞽を以て明と為し、聾を以て聡と為し、是を以て非と為し、吉を以て凶と為す。嗚呼上天、曷ぞ其れ同じからん。」詩に曰く、「上天甚だ神なり、自ら瘵むこと無かれ。」
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『長短経』察相斉の崔杼、師を帥いて我を伐つ。公之を患う。孟公綽曰く「崔子将に大志有らんとす。我を病ましむるに在らず。必ず速やかに帰らん。何をか患えんや。其の来るや冦せず、人を使うこと厳ならず、他日に異なる」と。斉の師、徒らに帰る。果たして荘公を弑す。晋・楚、諸侯を会して盟う。楚の公子囲、服を設けて衛を離る。魯の大夫叔孫穆子曰く「楚の公子は美なり、君なる哉」と。杜預曰く、君の服を設けたるなりと。此の年、子囲は位を簒う。衛の孫文子来聘す。君登れば亦た登る。叔孫穆子趨り進みて曰く「諸侯の会、寡君は未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子は寡君に後れず。未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子は辞する無く、亦た悛むる容無し。穆叔曰く「孫子は必ず亡びん。臣と為りて君たり、過ちて悛めざるは、亡びの本なり」と。後十四年、林父は君を逐う。
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呂氏春秋・驕恣②晉の厲公、侈淫にして、好んで讒人に聽く。盡く其の大臣を去りて、其の左右を立てんと欲す。胥童、厲公に謂いて曰く、「必づ先づ三郤を殺せ。族の大にして怨み多し,大族を去れば偪られず。」公曰く、「諾。」乃ち長魚矯をして郤犨・郤錡・郤至を朝に殺して、其の尸を陳ねしむ。是に於て厲公、匠麗氏に遊び、欒書・中行偃、劫して之を幽す。諸侯之を救うもの莫く、百姓之を哀れむもの莫し。三月にして之を殺せり。人主の患いは、患い能く人を害うことを知りて、人を害うことの當らざれば反って自らに及ぶことを知らざるに在り。是れ何ぞや。智短なればなり。智短なれば則ち化を知らず。化を知らざれば、舉自ら危うし。
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『長短経』臣行古語に云う「禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ」と。闔廬は呉を以て戦い勝ち、天下に敵無し。而して夫差は越に擒にせらる。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くす。而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功迹の等しからざるは、任ずる所の異なればなり。是を以て成王は襁褓に処りて諸侯に朝せらる。周公の事を用うればなり。趙の武霊王は年五十にして沙丘に餓死す。李兌に任ずればなり。故に魏に公子無忌有りて、削地復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて出でず。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。斯に因りて談ぜば、夫れ国を有つ者、世俗を陶冶し、人物を甄綜し、邪正の得失を論じ、霸王の余議を撮ること能わずして、能く功を立て名を成す者は、未だ之を前に聞かず。〔故に量能授官は、至理の徳なるを知る。〕