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長短経 / 君徳

〔議曰、元帝多才藝、善鼓琴、瑟雖如此、非善之善也。何則?徐幹《中論》曰、「夫詳小事而畧大道、察近物而暗逺數、自古及今、未有如此而不亂也、未有如此而不亡也。所謂『詳小事、察近物』者、謂耳聰於絲竹歌謡之和、目明於彫琢彩色之章、口給于辨惠切對之詞、心通于短言小說之文、手習於射御書數之巧也。所謂『逺數、大道』者、謂仁足以覆燾羣生、惠足以撫養百姓、明足以照見四方、智足以統理萬物、權足以應變無端、義足以阜生財用、威足以禁遏奸非、武足以平定禍亂、詳于聽受而審於官人、達於廢興之原、通於安危之分。如此、則君道畢矣。」

新字:〔議曰、元帝多才芸、善鼓琴、瑟雖如此、非善之善也。何則?徐幹《中論》曰、「夫詳小事而略大道、察近物而暗遠数、自古及今、未有如此而不乱也、未有如此而不亡也。所謂『詳小事、察近物』者、謂耳聰於糸竹歌謡之和、目明於彫琢彩色之章、口給于弁恵切対之詞、心通于短言小説之文、手習於射御書数之巧也。所謂『遠数、大道』者、謂仁足以覆燾羣生、恵足以撫養百姓、明足以照見四方、智足以統理万物、権足以応変無端、義足以阜生財用、威足以禁遏奸非、武足以平定禍乱、詳于聴受而審於官人、達於廃興之原、通於安危之分。如此、則君道畢矣。」

書き下し

〔議に曰く、元帝は才芸多く、善く琴瑟を鼓す。此くの如しと雖も、善の善なるに非ず。何となれば、徐幹の中論に曰く「夫れ小事に詳らかにして大道を略し、近物を察して遠数に暗きは、古より今に及ぶまで、未だ此くの如くにして乱れざる者有らず、未だ此くの如くにして亡びざる者有らず。所謂『小事に詳らかに、近物を察す』とは、耳は絲竹歌謡の和に聡く、目は彫琢彩色の章に明らかに、口は辨恵切対の詞に給し、心は短言小説の文に通じ、手は射御書数の巧に習うを謂うなり。所謂『遠数・大道』とは、仁は以て群生を覆燾するに足り、恵は以て百姓を撫養するに足り、明は以て四方を照見するに足り、智は以て万物を統理するに足り、権は以て変に応じて端無きに足り、義は以て財用を阜生するに足り、威は以て奸非を禁遏するに足り、武は以て禍乱を平定するに足り、聴受に詳らかにして官人に審らかに、廃興の原に達し、安危の分に通ずるを謂うなり。此くの如くなれば、則ち君道畢れり」と。

現代語訳

〔議していう。元帝は才芸が多く、琴や瑟を上手に弾いた。しかしこれは善のなかの善ではない。なぜか。徐幹の中論にこうある。「小さな事に詳しくて大きな道をおろそかにし、近くの物を察して遠い見通しに暗いというのは、昔から今に至るまで、そうであって乱れなかった例はなく、そうであって滅びなかった例はない。いわゆる『小事に詳しく近物を察する』とは、耳が管弦や歌謡の調和に敏く、目が彫刻や彩色の模様に明るく、口が気の利いた受け答えの言葉に達者で、心が短い言葉や小さな物語の文に通じ、手が弓術・馬術・書・算の技に習熟していることをいう。いわゆる『遠い見通しと大きな道』とは、仁が万物をおおうに足り、恵みが民を養うに足り、明察が四方を照らすに足り、知が万物を統べるに足り、権が果てしない変化に応じるに足り、義が財貨を生み育てるに足り、威が悪事を禁じ止めるに足り、武が禍乱を平定するに足り、聞き取りに詳しく人の任用に明らかで、興亡の根源に通じ、安危の分かれ目に通じていることをいう。こうであれば、君主の道は尽きている」。

解説

小事に詳しく大道に暗い者は、必ず乱れて滅びる。徐幹はそう断じたうえで、小事の中身を具体的に並べます。音楽に耳が利く、色彩に目が利く、受け答えが上手い、短い文章に通じる、技芸に習熟する。どれも褒められる能力ばかりです。褒められる能力を集めているうちに、褒められない大きな仕事が放置される。有能な人ほど陥りやすい落とし穴が、正確に描かれています。

この章句が説くこと

君徳徐幹中論小事と大道才芸優先順位

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