長短経 / 三国権
王室雖靖、而二方未賔、乃問賈詡曰、「吾欲伐不從命、以一天下、吳蜀何先?」對曰、「攻取者先兵權、建本者尚徳化。陛下應期受禪、撫臨率土若綏之以文徳、而俟其變、則平之不難矣。吳、蜀雖蕞爾小國、依阻山水、劉備有雄才、諸葛亮善治國、孫權識虚實、陸遜見兵勢、據險守要、汎舟江湖、皆難卒平也。用兵之道、先勝後戰、量敵論將、故舉無遺䇿。臣竊料羣臣無權、備對、雖以天威臨之、未見萬全之勢。昔舜舞干戚、而有苗服。臣以為當今冝先文後武。」文帝不納、後果無功。
新字:王室雖靖、而二方未賓、乃問賈詡曰、「吾欲伐不従命、以一天下、呉蜀何先?」対曰、「攻取者先兵権、建本者尚徳化。陛下応期受禅、撫臨率土若綏之以文徳、而俟其変、則平之不難矣。呉、蜀雖蕞爾小国、依阻山水、劉備有雄才、諸葛亮善治国、孫権識虚実、陸遜見兵勢、拠険守要、汎舟江湖、皆難卒平也。用兵之道、先勝後戦、量敵論将、故舉無遺策。臣窃料羣臣無権、備対、雖以天威臨之、未見万全之勢。昔舜舞干戚、而有苗服。臣以為当今冝先文後武。」文帝不納、後果無功。
書き下し
王室靖んずと雖も、二方未だ賓せず。乃ち賈詡に問いて曰く「吾、命に従わざるを伐ちて、以て天下を一にせんと欲す。呉・蜀何れか先ならん」と。対えて曰く「攻取する者は兵権を先にし、本を建つる者は徳化を尚ぶ。陛下は期に応じて禅りを受け、率土に撫臨す。若し之を綏んずるに文徳を以てして、其の変を俟たば、則ち之を平らぐること難からず。呉・蜀は蕞爾たる小国なりと雖も、山水に依阻す。劉備は雄才有り、諸葛亮は善く国を治め、孫権は虚実を識り、陸遜は兵勢を見る。険に拠り要を守り、舟を江湖に汎べ、皆卒かに平らぎ難きなり。兵を用うるの道は、先ず勝ちて後に戦い、敵を量り将を論ず。故に挙げて遺策無し。臣竊かに料るに、群臣に権・備の対無し。天威を以て之に臨むと雖も、未だ万全の勢いを見ず。昔、舜は干戚を舞わして、有苗服す。臣以為えらく、当今は宜しく文を先にし武を後にすべし」と。文帝納れず。後に果たして功無し。
現代語訳
王室は安定したが、呉と蜀の二方はまだ服従していなかった。文帝曹丕は賈詡に問うた。「命令に従わない者を伐って天下を一つにしたい。呉と蜀のどちらを先にすべきか」。賈詡は答えた。「攻め取ろうとする者は兵の力を先にし、国の根本を建てる者は徳による教化を尊びます。陛下は時運に応じて禅譲を受け、天下に臨まれました。もし文徳で人々を安んじて、相手の変化を待てば、平定は難しくありません。呉と蜀は小国ですが、山と川に守られています。劉備には雄才があり、諸葛亮はよく国を治め、孫権は虚実を見抜き、陸遜は兵の勢いを見ます。険しい地に拠って要所を守り、川や湖に舟を浮かべていて、どちらもすぐには平定できません。兵を用いる道は、まず勝てる形を作ってから戦い、敵を量り将を比べることです。だから挙兵して策を誤ることがないのです。私がひそかに見るに、わが群臣には孫権・劉備に匹敵する者がいません。天子の威光で臨んでも、万全の形勢は見えません。昔、舜は盾と斧を持って舞わせ、有苗は服従しました。今はまず文を先にし、武を後にすべきだと考えます」。文帝は聞き入れず、後に果たして功がなかった。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』三国権蜀の地は険しからざるに非ず。高山は雲霓を尋ね、深谷は無景を肆にし、馬を束ね車を懸けて、然る後に能く済る。皆一夫戟を荷えば千人も当たる莫しと言う。兵を進むるの日に及びて、曽て藩籬の限り無く、将を斬り旗を搴り、伏屍数万、勝ちに乗じて席巻し、径ちに成都に至る。漢中の諸城、皆鳥のごとく棲みて敢えて出でず。皆戦う心無きに非ず、誠に力相抗するに足らざればなり。劉禅降服するに至り、諸々の営堡の者、索然として俱に散ず。今、江淮の難は剣閣に過ぎず、山川の険は岷漢に過ぎず。孫皓の暴は劉禅より侈に、呉越の困は巴蜀より甚だし。而して大晋の兵衆は前世より多く、資儲器械は往時より盛んなり。今、此に於て呉を平らげずして、更に兵を阻みて相守らば、征夫は苦役し、日に干戈を尋ね、盛衰を経歴し、長久なるべからず。宜しく時に当たりて定め、以て四海を一にすべし。今、若し梁・益の兵を引きて、水陸俱に下り、荊楚の衆は進みて江陵に臨み、平南・豫州は直ちに夏口を指し、徐・揚・青・兗は並びに秣陵に向かい、鼓旆して以て之を疑わしめ、多方にして以て之を誤らしめば、一隅の呉を以て、天下の衆に当たり、勢い分かれ形散じ、備うる所皆急ならん。巴・漢の奇兵、其の空虚に出で、一処傾壊すれば則ち上下震蕩せん。
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『長短経』三国権魏の嘉平中、孫権死す。征南大将軍王昶・征東大将軍胡遵・鎮南将軍毌丘倹等、表して呉を征せんとす。朝廷、三征の計の異なるを以て、詔して尚書傅嘏に訪う。嘏対えて曰く「昔、夫差は斉に勝ち晋を陵ぎ、威は中国に行わるるも、以て姑蘇の禍を免るること能わず。斉閔は土を辟き国を兼ね、地を開くこと千里なるも、以て顛覆の敗を救うに足らず。始め有るは必ずしも善く終わらざること、古事の明効なり。孫権は蜀を破り荊州を兼ねしより後、志盈ち欲満ち、凶亢已に極まる。相国宣・文王は先ず乱を取り亡を侮るの義を識り、深く宏図大挙の策に達す。今、権已に死し、孤を諸葛恪に託す。若し権の苛暴を矯め、其の虐政を蠲き、民酷烈を免れ、新恵に偸安し、外内慮りを斉しくし、同舟の懼れ有らば、終に自ら保完すること能わずと雖も、猶お以て期を延べ命を深江の外に挺くするに足らん。
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『長短経』三国権諸葛亮の南陽に躬耕すると聞き、乃ち三たび亮を草廬の中に詣り、人を屏けて言いて曰く「漢室傾頹し、姦臣命を竊み、主上蒙塵す。孤、徳を度り力を量らず、大義を天下に信べ行わんと欲す。而れども智術浅短にして、遂に用て猖獗し、今日に至る。然れども意猶お未だ已まず。君謂えらく、計将に安くにか出でんとする」と。亮答えて曰く「董卓より已来、豪傑並び起こり、州に跨り郡を連ぬる者、勝げて数うべからず。曹操は袁紹に比すれば、名微にして衆寡なし。然れども遂に能く紹に克つ。弱を以て強と為る者は、唯だ天の時のみに非ず、抑も亦た人の謀なり。今、操は已に百万の衆を擁し、天子を挟みて諸侯に令す〔伝に云う、諸侯を求むるは、王に勤むるに如くは莫し、と。此の謂いなり〕。此れ誠に与に鋒を争うべからず。孫権は江東を拠有し、已に三代を歴たり。国険にして民附き、賢能用を為す。此れ与に援と為すべくして、図るべからざるなり。
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『長短経』三国権〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。
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『長短経』三国権昔、漢氏は歴世常に匈奴を患い、朝臣謀士、早く朝し晏く罷む。介冑の将は則ち征伐を陳べ、搢紳の徒は咸な和親を言い、勇奮の士は搏噬を展べんことを思う。故に樊噲は十万を以て匈奴に横行せんことを願い、季布は面りに其の短を折く。李信は二十万を以て独り楚人を挙げんことを求め、而して果たして秦軍を辱む。今、諸将に江陵の険を越え、独り虜庭に歩まんことを陳ぶる有るは、即ち亦た向時の類なり。陛下の聖徳、輔相の忠賢、法明らかに士練れたるを以て、計を全勝の地に措き、長策を振るいて以て之を御せば、虜の崩隤は必然の数なり。故に兵法に曰く『人の兵を屈するも戦うに非ず、人の城を抜くも攻むるに非ず』と。若し廟勝必然の理を釈きて、万一不全の略を行わば、誠に愚臣の慮る所なり。故に謂えらく、大佃して之に逼るの計、最も長ぜり」と。時に嘏の言に従わず、昶等に詔して呉を征せしむ。呉の将諸葛恪、之を距ぎ、大いに魏の軍を東関に敗る。魏は後に陵夷して晋に禅り、太祖位に即く。
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『長短経』三国権今、議する者、或いは舟を汎べて径ちに済り、江表に横行せんと欲し、或いは道を倍にして並び進み、其の城塁を攻めんと欲し、或いは大いに疆場に佃して釁を観て動かんと欲す。此の三者は皆賊を取るの常計なり。然れども之を施すこと機に当たれば則ち功成り、苟も節に応ぜずんば、必ず後患を貽さん。兵を治めしより已来、出入三載、掩襲の軍に非ざるなり。賊は元帥を喪い、利は退守に存す。若し船を津要に羅ね、城を堅くし野を清くせば、横行の計は、其れ殆ど捷ち難からん。賊の寇を為すこと幾ど六十年、君臣偽りて立ち、吉凶患いを同じくす。若し恪其の弊を蠲かば、天の疾を奪う。崩潰の応は、卒かに待つべからざるなり。今、賊は羅落を設け、又た重密を持し、間諜行われず、耳目聞く無し。夫れ軍に耳目無く、校察未だ詳らかならずして、大衆を挙げて以て巨険に臨むは、此れ希幸邀功と為し、先に戦いて後に勝ちを求むるなり。全軍の長策に非ざるなり。唯だ大佃のみ最も差や完牢にして、兵は民の表に出で、寇鈔も犯さず、坐して積穀を食い、運士を煩わさず。釁に乗じて討襲し、遠く労費すること無し。此れ軍の急務なり。