長短経 / 反経
《韓詩外傳曰、“夫士有五反、有勢尊貴不以愛人行義理、而反以暴傲。〔反貴也。古語曰、“冨能冨人者、欲貧不可得、貴能貴人者、欲賤不可得、達能達人者、欲窮不可得。”梅福曰、“存人所以自立也、壅人所以自塞也。”〕家富厚不以振窮救不足、而反以侈靡無度。〔反富也。〕
新字:《韓詩外伝曰、“夫士有五反、有勢尊貴不以愛人行義理、而反以暴傲。〔反貴也。古語曰、“冨能冨人者、欲貧不可得、貴能貴人者、欲賤不可得、達能達人者、欲窮不可得。”梅福曰、“存人所以自立也、壅人所以自塞也。”〕家富厚不以振窮救不足、而反以侈靡無度。〔反富也。〕
書き下し
韓詩外伝に曰く「夫れ士に五反有り。勢尊貴なる有りて、人を愛し義理を行うを以てせずして、反って暴傲を以てす。〔貴に反するなり。古語に曰く「富みて能く人を富ます者は、貧ならんと欲するも得可からず。貴くして能く人を貴くする者は、賤しからんと欲するも得可からず。達して能く人を達せしむる者は、窮せんと欲するも得可からず」と。梅福曰く「人を存するは自ら立つ所以なり。人を壅ぐは自ら塞ぐ所以なり」と。〕家富厚にして窮を振い不足を救うを以てせずして、反って侈靡無度を以てす。〔富に反するなり。〕
現代語訳
韓詩外伝にこうある。「士には五つの裏返りがある。権勢があって尊く貴いのに、人を愛し義の道理を行うのではなく、かえって乱暴で傲慢である。〔貴に反する場合である。古い言葉にこうある。「富んで人を富ませられる者は、貧しくなろうとしてもなれない。貴くて人を貴くできる者は、賤しくなろうとしてもなれない。栄達して人を栄達させられる者は、行き詰まろうとしてもなれない」。梅福はこう言った。「人を存続させることが、自分が立つ道である。人を塞ぐことが、自分を塞ぐ道である」。〕家が豊かなのに窮乏を救い不足を助けるのではなく、かえって奢りが度を越している。〔富に反する場合である。〕
解説
割注の古語が秀逸です。人を富ませられる人は、貧しくなろうとしてもなれない。人を引き上げる力を持っている人は、その力自体が資産になるので、落ちようがない。逆に梅福が言うとおり、人を塞ぐことは自分を塞ぐこと。誰かの道を閉ざすたびに、自分の選択肢も一つ減っていきます。持っている人の使い道の話です。五反の最初の二つは、権勢と財産という、最も持ちやすいものの使い道を問うています。持つこと自体は悪くない、向ける先が問われているのです。
この章句が説くこと
反経五反貴富梅福引き上げる
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