長短経 / 臣行
夫以東晉衰微、壃塲日駭、况永固〔苻堅字也〕六夷英主、親率百萬、苻融儁才名相、執銳先駈厲虎狼之爪牙、騁長蛇之鋒鍔、先築賔館、以待晉君。强弱而論、鴻毛太山、不足為喻。文靖深拒桓冲之援、不喜謝𤣥之書、則勝敗之數、固已存於胷中矣。夫斯人也、豈以區區萬户之封、動其方寸者歟?若論其度量、近古以來、未見其匹。”隋煬帝在東宫、嘗謂賀若弼曰、“楊素、韓擒虎、史萬歲三人、俱稱良將、其間優劣何如?
新字:夫以東晋衰微、壃塲日駭、況永固〔苻堅字也〕六夷英主、親率百万、苻融儁才名相、執鋭先駈厲虎狼之爪牙、騁長蛇之鋒鍔、先築賓館、以待晋君。強弱而論、鴻毛太山、不足為喩。文靖深拒桓沖之援、不喜謝玄之書、則勝敗之数、固已存於胸中矣。夫斯人也、豈以区区万戸之封、動其方寸者歟?若論其度量、近古以来、未見其匹。”隋煬帝在東宮、嘗謂賀若弼曰、“楊素、韓擒虎、史万歳三人、倶称良将、其間優劣何如?
書き下し
虞南曰く「昔、顧雍の侯に封ぜらるるの日、家人知らず。前代、其の質重を称し、以て偶と為す莫し。夫れ東晋の衰微を以て、彊場日に駭く。況んや永固〔苻堅の字なり。〕は六夷の英主にして、親ら百万を率い、苻融は儁才の名相にして、鋭を執りて先駆す。虎狼の爪牙を厲まし、長蛇の鋒鍔を騁す。先ず賓館を築きて、以て晋君を待つ。強弱を論ずれば、鴻毛と太山と、喩えと為すに足らず。文靖は深く桓沖の援を拒み、謝玄の書を喜ばず。則ち勝敗の数は、固より已に胸中に存するなり。夫れ斯の人や、豈に区々たる万戸の封を以て、其の方寸を動かす者ならんや。若し其の度量を論ぜば、近古以来、未だ其の匹を見ず」と。
現代語訳
虞世南は言った。「昔、顧雍が侯に封じられた日、家の者は知らなかった。前の時代、その重厚さを称え、並ぶ者がないとした。東晋が衰えて、国境は日々騒がしかった。まして苻堅は北方六族の英主で、自ら百万の軍を率い、苻融は俊才の名宰相で、鋭鋒を執って先駆けした。虎狼の爪と牙を励まし、長蛇の刃を走らせた。先に賓館を築いて、晋の君を迎える準備までした。強弱を論じれば、鳥の羽と泰山を比べるという喩えでも足りない。謝安は桓沖の援軍をきっぱり断り、謝玄の手紙にも喜ばなかった。つまり勝敗の見通しは、もともと胸のうちにあったのである。この人が、どうしてわずか一万戸の封などで心を動かそうか。その度量を論じれば、近い時代で並ぶ者を見たことがない」。
解説
この章句が説くこと
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