長短経 / 懼戒
秦二世末、陳涉起蘄、兵至陳。張耳、陳餘説涉曰、「大王興梁、楚、務在入闗、未及收河北也。臣嘗遊趙、知其豪傑、願請竒兵略趙地。」于是陳王許之、與卒三千。從白馬渡河〔今滑州白馬縣界也、〕至諸郡縣、説其豪傑曰、「秦為亂政虐刑、殘滅天下。北為長城之役、南有五嶺之戍、外内騷動、百姓罷敝、頭㑹箕斂、以供軍費、財匱力盡、重以苛法、使天下父子不相聊生。今陳王奮臂為天下唱始、莫不響應。家自為怒、各報其怨、縣殺其令丞、郡殺其守尉。今已張大楚、王陳、使吳廣、周文將卒百萬西擊秦。于此時而不成封侯之業者、非人傑也。夫因天下之力而攻無道之君、報父兄之怨而成割地之業、此一時也。」豪傑皆然其言。乃行收兵、下趙十餘城。
新字:秦二世末、陳渉起蘄、兵至陳。張耳、陳余説渉曰、「大王興梁、楚、務在入関、未及収河北也。臣嘗遊趙、知其豪傑、願請奇兵略趙地。」于是陳王許之、与卒三千。従白馬渡河〔今滑州白馬県界也、〕至諸郡県、説其豪傑曰、「秦為乱政虐刑、残滅天下。北為長城之役、南有五嶺之戍、外内騷動、百姓罷敝、頭会箕斂、以供軍費、財匱力尽、重以苛法、使天下父子不相聊生。今陳王奮臂為天下唱始、莫不響応。家自為怒、各報其怨、県殺其令丞、郡殺其守尉。今已張大楚、王陳、使呉広、周文将卒百万西撃秦。于此時而不成封侯之業者、非人傑也。夫因天下之力而攻無道之君、報父兄之怨而成割地之業、此一時也。」豪傑皆然其言。乃行収兵、下趙十余城。
書き下し
秦の二世の末、陳渉蘄に起こり、兵陳に至る。張耳・陳餘、渉に説きて曰く「大王は梁・楚を興し、務めは関に入るに在りて、未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に遊び、其の豪傑を知る。願わくは奇兵を請いて趙の地を略せん」と。是に於て陳王之を許し、卒三千を与う。白馬より河を渡り〔今の滑州白馬県の界なり〕、諸郡県に至り、其の豪傑に説きて曰く「秦は乱政虐刑を為し、天下を残滅す。北には長城の役を為し、南には五嶺の戍有り。外内騒動し、百姓罷敝す。頭会箕斂して、以て軍費に供し、財匱しく力尽く。重ぬるに苛法を以てし、天下の父子をして相聊生せざらしむ。今、陳王臂を奮いて天下の為に唱始し、響応せざるは莫し。家々自ら怒りを為し、各々其の怨みに報ゆ。県は其の令丞を殺し、郡は其の守尉を殺す。今已に大楚を張り、陳に王たり、呉広・周文をして卒百万を将いて西のかた秦を撃たしむ。此の時に於て封侯の業を成さざる者は、人傑に非ざるなり。夫れ天下の力に因りて無道の君を攻め、父兄の怨みに報いて割地の業を成す。此れ一時なり」と。豪傑皆其の言を然りとす。乃ち行きて兵を収め、趙の十余城を下す。
現代語訳
秦の二世皇帝の末、陳渉が蘄で兵を起こし、陳に至った。張耳と陳餘が陳渉に説いた。「大王は梁・楚で兵を興し、関中に入ることに力を注いで、まだ黄河の北を収めていません。私たちはかつて趙を旅し、その豪傑を知っています。どうか別働隊をください。趙の地を攻め取ります」。陳王はこれを許し、兵三千を与えた。二人は白馬から黄河を渡り〔今の滑州白馬県の境〕、郡や県を回って豪傑たちに説いた。「秦は乱れた政治とむごい刑罰で天下を損なってきた。北には長城の労役、南には五嶺の守備があり、内も外も騒がしく、民は疲れ果てている。人の頭数で税を取り箕ですくうように取り立てて軍費にあて、財は尽き力も尽きた。そのうえ厳しい法を重ね、天下の父子を安心して暮らせないようにした。いま陳王が腕を振り上げて天下のために先に立ち、呼応しない者はない。家ごとに怒り、それぞれ恨みを晴らしている。県では県令を殺し、郡では郡守を殺している。いまや大楚の旗を掲げて陳で王となり、呉広と周文に百万の兵を率いさせて西の秦を撃たせている。この時に封侯の業を成し遂げない者は、人傑ではない。天下の力に乗じて無道の君を攻め、父兄の恨みを晴らして土地を得る。これは一度きりの時だ」。豪傑たちは皆もっともだと思った。二人は兵を集めながら進み、趙の十余りの城を落とした。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 張耳陳余列伝秦詔書もて両人を購ひ求む。両人亦反って門者を用ひて以て里中に令す。陳渉蘄に起こり、陳に入るに至りて、兵数万。張耳・陳餘陳渉に上謁す。渉及び左右生平数々張耳・陳餘の賢を聞くも、未だ嘗て見ず。見て即ち大いに喜ぶ。陳中の豪傑父老乃ち陳渉に説きて曰く、「将軍身に堅を被り鋭を執り、士卒を率ゐて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立て、亡を存し絶を継ぐ。功徳宜しく王たるべし。且つ夫れ天下の諸将を監臨するに、王と為らずんば可ならず。願はくは将軍立ちて楚王と為れ」と。陳渉此の両人に問ふ。両人対へて曰く、「夫れ秦は無道を為し、人の国家を破り、人の社稷を滅ぼし、人の後世を絶ち、百姓の力を罷らし、百姓の財を尽くす。将軍目を瞋らし胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計を出だし、天下の為に残を除く。今始めて陳に至りて之に王たらば、天下に私を示さん。願はくは将軍王たる毋く、急ぎ兵を引きて西し、人を遣はして六国の後を立て、自ら党を樹て、秦の為に敵を益せ。敵多ければ則ち力分かれ、与衆ければ則ち兵彊し。此の如くんば野に交兵無く、県に守城無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて以て諸侯に令す。諸侯亡びて立つを得、徳を以て之を服す。此の如くんば則ち帝業成らん。今独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。陳渉聴かず、遂に立ちて王と為る。陳餘乃ち復た陳王に説きて曰く、「大王梁・楚を挙げて西し、務めは関に入るに在り。未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に游び、其の豪桀及び地形を知る。願はくは奇兵を請ひて北のかた趙の地を略せん」と。是に於て陳王故の善くする所の陳人武臣を以て将軍と為し、邵騒を護軍と為し、張耳・陳餘を以て左右校尉と為し、卒三千人を予へ、北のかた趙の地を略せしむ。武臣等白馬より河を渡り、諸県に至り、其の豪桀に説きて曰く、「秦は乱政虐刑を為して以て天下を残賊すること、数十年なり。
-
『長短経』時宜夫れ事に趨同じくして勢い異なる者有り。事の詭なるに非ず、時の変なるのみ。何を以て其の然るを明らかにせん。昔、秦の末、陳渉蘄に起こり、民陳に至る。陳の豪傑、渉に説きて曰く「将軍は堅を披り鋭を執り、士卒を帥いて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立つ。功徳宜しく王たるべし」と。陳渉、陳餘・張耳の両人に問う。両人対えて曰く「将軍は目を瞋らせ胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計にして、天下の為に残賊を除く。今、始めて陳に至りて之に王たるは、天下に示すに私を以てす。願わくは将軍王たること無く、急ぎ兵を引きて進み、人を遣わして六国の後を立て、自ら為に党を樹てよ。此くの如くんば、野に交兵無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて、以て諸侯に令せば、則ち帝業成らん。今、独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。
-
『長短経』懼戒王怒る。被、死罪を謝す。王曰く「陳勝・呉広は立錐の地無く、千人の衆もて、大沢に起こり、臂を奮いて大呼して天下響応し、西して戯に至りて兵百万なり。今、吾が国小なりと雖も、然れども勝兵の者、十余万を得べし。直だ適戍の衆、鐖鑿棘矜のみに非ざるなり。公何を以て禍有りて福無しと言う」と。被曰く「秦は無道にして、天下を残賊す。万乗の駕を興し、阿房の宮を作り、太半の賦を収め、閭左の戍を発す。父は子を寧んぜず、兄は弟を便とせず。政苛しく刑峻しく、天下は熬然として燋かるるが若し。民は皆領を引きて望み、耳を傾けて聴き、悲号して天を仰ぎ、心を扣きて上を怨む。故に陳勝一たび呼びて、天下響応す。当今、陛下は天下に臨制し、海内を一斉にし、汎く蒸庶を愛し、徳を布き恵を施す。口未だ言わずと雖も、声は雷霆より疾く、令未だ出でずと雖も、化の馳すること神の如し。心に懐く所有れば、威は万里を動かし、下の上に応ずること、猶お影響のごとし。而して大将軍の材能は、特に章邯・楊熊のみに非ざるなり。大王、陳勝・呉広を以て之に喩う。被以為えらく過てり」と。
-
史記 張耳陳余列伝北に長城の役有り、南に五嶺の戍有り。外内騒動し、百姓罷敝す。頭会箕斂して、以て軍費に供す。財匱き力尽き、民生を聊んぜず。之に重ぬるに苛法峻刑を以てし、天下の父子をして相安んぜざらしむ。陳王臂を奮ひて天下の為に倡始し、楚の地に王たり、方二千里、響応せざる莫し。家々自ら怒りを為し、人々自ら闘ひを為し、各々其の怨みを報じて其の讎を攻め、県は其の令丞を殺し、郡は其の守尉を殺す。今已に大楚を張り、陳に王たり、呉広・周文をして卒百万を将ゐて西のかた秦を撃たしむ。此の時に於て封侯の業を成さざる者は、人豪に非ざるなり。諸君試みに相与に之を計れ。夫れ天下心を同じくして秦に苦しむこと久し。天下の力に因りて無道の君を攻め、父兄の怨みを報じて地を割き土を有つの業を成す。此れ士の一時なり」と。豪桀皆其の言を然りとす。乃ち行きて兵を収め、数万人を得、武臣を号して武信君と為す。趙の十城を下す。余は皆城守し、下るを肯ずる莫し。乃ち兵を引きて東北のかた范陽を撃つ。范陽の人蒯通、范陽の令に説きて曰く、「竊かに聞く、公の将に死せんとすと。故に弔す。然りと雖も、公の通を得て生くるを賀す」と。范陽の令曰く、「何を以て之を弔ふ」と。対へて曰く、「秦の法重し。足下范陽の令為ること十年なり。人の父を殺し、人の子を孤にし、人の足を断ち、人の首を黥すること、勝げて数ふべからず。然り而して慈父孝子敢て刃を公の腹中に倳す莫き者は、秦の法を畏るるのみ。今天下大いに乱れ、秦の法施されず。然らば則ち慈父孝子且に刃を公の腹中に倳して以て其の名を成さんとす。此れ臣の公を弔する所以なり。今諸侯秦に畔く。武信君の兵且に至らんとす。而るに君堅く范陽を守らば、少年皆争ひて君を殺し、武信君に下らん。君急ぎ臣を遣はして武信君に見えしめば、禍を転じて福と為すべし。今に在り」と。
-
史記 陳渉世家陳勝は、陽城の人なり、字は渉。呉広は、陽夏の人なり、字は叔。陳渉少き時、嘗て人と傭耕す。耕すを輟めて壟上に之き、悵恨すること之を久しくして、曰く、「苟も富貴とならば、相忘るること無からん」と。傭者笑ひて応へて曰く、「若は庸耕を為す、何ぞ富貴ならんや」と。陳渉太息して曰く、「嗟乎、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と。二世元年七月、閭左を発して漁陽に適戍せしむ、九百人大沢郷に屯す。陳勝・呉広皆次として当に行くべし、屯長と為る。会々天大いに雨ふり、道通ぜず、度るに已に期を失ふ。期を失へば、法として皆斬らる。陳勝・呉広乃ち謀りて曰く、「今亡ぐるも亦た死し、大計を挙ぐるも亦た死す、等しく死せば、国に死するは可ならんか」と。陳勝曰く、「天下秦に苦しむこと久し。吾聞く、二世は少子なり、当に立つべからず、当に立つべき者は乃ち公子扶蘇なりと。扶蘇は数々諫むるの故を以て、上外に兵を将ゐしむ。今或いは聞く、罪無きに、二世之を殺すと。百姓多く其の賢を聞くも、未だ其の死を知らざるなり。項燕は楚の将為り、数々功有り、士卒を愛す、楚人之を憐れむ。或いは以て死せりと為し、或いは以て亡げたりと為す。今誠に吾が衆を以て詐りて公子扶蘇・項燕と自称し、天下の唱へを為さば、宜しく応ずる者多かるべし」と。呉広以て然りと為す。乃ち行きて卜す。卜者其の指意を知り、曰く、「足下の事皆成り、功有らん。然れども足下之を鬼に卜せよ」と。陳勝・呉広喜び、鬼を念ひて、曰く、「此れ我に先づ衆を威せよと教ふるのみ」と。乃ち丹もて帛に書して「陳勝王たらん」と曰ひ、人の罾する所の魚の腹中に置く。卒魚を買ひて烹て食ひ、魚の腹中の書を得て、固より以て之を怪しむ。又、間に呉広をして次所の旁の叢祠の中に之かしめ、夜篝火し、狐鳴して呼びて曰く「大楚興り、陳勝王たらん」と。卒皆夜驚き恐る。旦日、卒中往往に語り、皆陳勝を指目す。呉広素より人を愛し、士卒多く用を為す者あり。将尉酔ふ、広故らに数々亡げんと欲すと言ひ、尉を忿恚せしめ、之を辱めしめ、以て其の衆を激怒せしむ。尉果たして広を笞うつ。
-
『長短経』覇図〈陳渉・呉広、漁陽を戍り、大沢に屯す。会々天雨りて、道通ぜず。已に期を失うを度る。期を失えば当に斬らるべし。二人乃ち謀りて曰く「今已に期を失えり。当に斬らるべし。今、大計を挙ぐるも亦た死す。死するに、国の為にせば可ならんか」と。乃ち先ず鬼神を説きて衆を威し、因りて尉を斬る。徒属を召して令して曰く「公等、雨に遇い、皆な已に期を失えり。期を失えば当に斬らるべし。藉令い第だ軒無くして戍るとも、死する者は固より十に六七。且つ壮士は死せずんば則ち已む。死せば則ち大名を挙げん。侯王将相、寧んぞ種有らんや」と。徒属皆な曰く「敬みて命を受く」と。遂に分かれ将いて地を徇え、自立して陳王と為る。〉